当時、トヨタ自工は、トラックのほかにトヨタ城再構築の担い手としての乗用車“トヨペット・クラウン”と、小型トラック“トヨエース”が登場、工場も活気にあふれていた。ただ、エンジン組付ラインでも、手作業に依存する部分が多く、エンジンの寿命を左右するシリンダーヘッドやブロック シリンダーからの切り粉除去は、軽油の中でブラシを使って手洗浄をするだけだった。一部に内装化された装置もみられたが、その機構は簡単なものだった。
鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
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しかし、チャンスは予想外に早くやってきた。トヨタ自工挙母工場のエンジン部位ラインの一角で「エンジンのシリンダーブロックを洗浄する装置を作ってみないか…」と、相談を投げかけられた。鬼頭社長は、瞬間耳を疑ったが、一呼吸置いて「挑戦してみます」と返事をした。
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設備メーカーの布石/洗浄機を完成
話題は、工場建設構想が具体化する時点に逆上るが、昭和33年(1958年)8月、設計技術者の第1号として磯谷君(現、株式会社産技代表取締役)が入社してきた。さっそく、鬼頭社長と夫人がトヨタ自工内の関連部署を連れて歩き、図面を提出したが「漫画を持ってきたのかネ」などと、茶かされる一幕などもあった。ひそかに設備メーカーへの変身をめざしていた鬼頭社長にとって“簡単にはゆかないぞ”という指摘でもあった。
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話題は、工場建設構想が具体化する時点に逆上るが、昭和33年(1958年)8月、設計技術者の第1号として磯谷君(現、株式会社産技代表取締役)が入社してきた。さっそく、鬼頭社長と夫人がトヨタ自工内の関連部署を連れて歩き、図面を提出したが「漫画を持ってきたのかネ」などと、茶かされる一幕などもあった。ひそかに設備メーカーへの変身をめざしていた鬼頭社長にとって“簡単にはゆかないぞ”という指摘でもあった。
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運転資金もないなかでの創業当時、こっそり着物などを売って家計を助け、企業経営が軌道に乗ったあとも、従業員には暖く接した。当時の従業員たちは「おばあちゃんの作ってくれた味噌汁の味が忘れられない」という。
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