鬼頭工業 30年の歩み 170これに伴って、売上高も昭和33年度の3,843万円が、昭和34年度には6,540万円、昭和35年度には1億3,547万円と年々、うなぎ上り。そして昭和35年度には5億円台乗せを達成した。鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
鬼頭工業 30年の歩み 169年々うなぎ上りの売上高広路時代の当社は、周辺用地の買い増し 、工場増設、新鋭設備の導入の繰り返しだった。すでに触れたことだが、昭和35年6月29日付で、資本金100万円の合資会社を資本金500万円の株式会社に改組、社名を鬼頭工業所から鬼頭工業に改称するなかで、トヨタ自工の元町第2組立工場向けを中心とする設備や装置の受注消化に追い回される毎日が続いた。鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
鬼頭工業 30年の歩み 1673年後、モダンな2階建て本社事務所が完成、食堂は施設を一新、調理する人が増えていったが、当時、まだ中小企業で自前の給食施設をもっている企業は少なく注目された。鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
鬼頭工業 30年の歩み 166ある程度の資金を貯えると、昨今の若者たちは、自動車を購入するが 、当時は自転車を買うのが夢だった。平松はこれらの少年たちに頼まれて、しばしば、月賦購入の際に求められる保証人になった。鬼頭工業株式会社|KITO MAC|