新しい生産の柱、溶接機
ところで、昭和40年当時、豊田地区には溶接治具を 生産する企業はあっても、溶接機あるいは溶接装置を手掛ける企業がなかった。当社自体も、高畑時代から一部治具の受注生産を始めていたが、放置したままになっていた。こうしたなか、昭和39年、40年と鬼頭社長は、欧米諸国を視察するなかで、新たな生産の柱を溶接機にかける決意を固めた。
鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
ところで、昭和40年当時、豊田地区には溶接治具を 生産する企業はあっても、溶接機あるいは溶接装置を手掛ける企業がなかった。当社自体も、高畑時代から一部治具の受注生産を始めていたが、放置したままになっていた。こうしたなか、昭和39年、40年と鬼頭社長は、欧米諸国を視察するなかで、新たな生産の柱を溶接機にかける決意を固めた。
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このほか、第2回日本国際工作機械見本市に出品、実用新案特許を取得した「レシプロ・ポリッシング装置」のように、他社にその製造技術を譲渡した製品もある。同装置は、カムシャフトのような棒状体を、昇降動する研磨粒子の入ったタンク内で研磨する“往復型研磨機”というべきものだった。
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或る日のこと、納入したばかりの搬送を主体とする自動化設備が故障、担当者から夜中に呼び出しを受けた。始業前に修理をと、車を走らせてみると、すでに大野工場長の姿がある。故障部分以外もすべてストップ状態にあるなかで、原因が徹底的に究明され、その場で改善させられた。こうした冷や汗の出るような指導を経て、徹底した省人化設備とは何であるかをたたき込まれた。(井川喜博技術部顧問談)
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トヨタ自工の高岡工場増設や上郷工場建設工事が進むなかで、当社も無人化組立ラインに配置する洗浄機や大型の治工具類の受注をこなすのに多忙をきわめた。昭和40年11月に完成式を行った上郷工場では大野耐一帯務取締役工業長殿(現、豊田紡織株式会社会長)が陣頭指揮をとっていた。
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