新しい生産の柱、溶接機

ところで、昭和40年当時、豊田地区には溶接治具を生産する企業はあっても、溶接機あるいは溶接装置を手掛ける企業がなかった。当社自体も、高畑時代から一部治具の受注生産を始めていたが、放置したままになっていた。こうしたなか、昭和39年、40年と鬼頭社長は、欧米諸国を視察するなかで、新たな生産の柱を溶接機にかける決意を固めた。


鬼頭工業株式会社|KITO MAC|