さて、みなさんもすでにご存じのように、歌手の西城秀樹さん(本名・木本龍雄=きもとたつお)さんが、5月16日午後11時53分、急性心不全のため横浜市内の病院でお亡くなりになりました。
享年63歳でした。
西城さんの関係者によると、西城さんは4月25日に家族と団らん中に意識を失い倒れて、横浜市内の病院に搬送。
入院し、20日ほどがんばったものの、意識は戻らず、今月の5月16日に力尽き帰らぬ人となったのてした。
そこで、予定していた記事は後日あらためて更新することにして、今回は西城秀樹さんをしのぶ追悼記事としてお送りいたします。
それとともに、記事内でご紹介の西城さんの曲の中から4曲を、YouTubeのリンクを通じてご紹介いたします。
いちいち曲ごとに形式を書くとまどろっこしくなりますので、あらかじめここで書いておきますと、YouTubeの視聴プレーヤーはFrashで、視聴形式はサイト内となります。
◆西城秀樹さんについて
ではまず、在りし日の西城秀樹さんについて簡単にご紹介してみたいと思います。
西城秀樹さんは、1955年4月13日生まれの広島県広島市出身。
所属事務所は、デビュー当時は芸映でしたが、1983年1月21日に、スタッフとともに円満退社し独立。
現在はアースコーポレーションとなっていました。
ジャズギターが趣味だった父親の影響で幼少期のころから洋楽に馴染んでいた西城さんは、ジャズスクールに通ってドラムを勉強することに。
小学5年生のころには西城さんの兄とエレキバンドを結成し、当時より小学生ドラマーとして活動していたそうです。
高校時代にはジャズ喫茶でバンド出演し、たまたま歌唱していたところをスカウトされ、父親の反対を押し切って上京。
1972年3月25日に、デビューシングル「恋する季節」で歌手デビューし、1973年9月5日に発売の6枚目のシングル「ちぎれた愛」で、初のオリコン1位を獲得します。
さらには、同じ年の1973年の「輝く日本レコード大賞」では6枚目のシングル「ちぎれた愛」。
1974年は、10枚目のシングル「傷だらけのローラ」の曲で、2年連続して歌唱賞を受賞することに!
これは、演歌歌手をのぞき、ポップス歌手では史上初のことでもあったのでした。
「傷だらけのローラ」については、この曲で「第25回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たしたのを機に、1984年の「第35回NHK紅白歌合戦」までなんと11年連続出場を果たしていたということです!
しかも、歌手の郷ひろみさん、野口五郎さんとともに「新御三家」と呼ばれるようになったことで、トップアイドルとなったのでした。
ではここで、「日本レコード大賞」では歌唱賞を受賞し、「第25回NHK紅白歌合戦」に初出場となった曲であった「傷だらけのローラ」の曲を下のYouTubeのリンクから試聴してみてくださいね。
●西城秀樹 / 傷だらけのローラ 3分8秒
作詞:さいとう大三
作曲・編曲:馬飼野康二
なんでも、西城さんの歌唱法は、ハスキーな歌声を前面に押し出し、全身全霊を込めた喉が張り裂けるような歌い方から「絶唱型」と呼ばれているのだそうです。
それは、先ほども書いた「ちぎれた愛」の曲でそう呼ばれるようになったということです。
でもこの「傷だらけのローラ」は、「ローラ…ローラ…ローラー!!」と絶叫する部分もあることから、「ちぎれた愛」とはまた違った絶唱型とも言えそうですね。
先ほどの御三家については、西城さんがお亡くなりになったことで、郷ひろみさん、野口五郎さんから次のようなお悔やみのコメントが寄せられていました。
郷ひろみさん
「同世代として、とても残念です。
ボクの中で長男は(野口)五郎、次男は秀樹、末っ子がボクでした。
秀樹が先に逝ってしまったこと、とても悲しい気持ちでいっぱいです。
デビュー当時、右も左もわからなかったボクに『ひろみ、何かわからないことがあったらオレに聞いてくれる?』と親身になってくれたこと、一生忘れません。
心からお悔やみ申し上げます。
野口五郎さん
「あまりにも突然で、今は言葉が見つかりません。
気持ちの整理がつくまで少し時間をください。
申しわけありません」
◆日本のエンターテインメントを切り拓いた人 ロックボーカリストの先駆者でもあった西城秀樹 日本初と呼ばれる功績も多数!
ところで西城さんといえば、「歌謡曲の時代」を築いた人物の1人であり、日本のエンターテインメントを切り拓いた人でもありました。
曲においても、海外のサウンドと日本のメロディをドッキングさせるロック・ポップス寄りの楽曲に、女性ファンがより興奮しやすくなるようなストレートなフレーズを歌詞に散りばめたこと。
派手でセクシーやアクションと長い脚が映える衣装を着て歌う、日本のロックボーカリストの先駆者でもあったのでした。
以前TBSの「中居正弘の金曜日のスマイルたちへ」で西城さんの特集が放送されたときにも紹介されたように、西城さんは歌謡曲で日本初と呼ばれる功績が多数ありました。
それを、以下に9項目にまとめ、箇条書きしてみると次のようになります。
1.歌謡曲でスタンドマイクを使ったアクションをいち早く取り入れた
2.ファン参加型ライブで、コールアンドレスポンスを本格的に歌謡曲に持ち込んだ
3.昔の大阪球場でのスタジアムコンサートを、日本人のソロアーティストとして初めて開催
4.事前に観客に呼びかけたことで、コンサートでペンライトを初めて導入した
5.アジアの日本人歌手進出の先がけでもあった
6.ライブにおける観客のペンライトを初めて導入
7.TBSの音楽番組「ザ・ベストテン」で第1回から常連として出演していた
8.「ヤングマン」の曲で人文字振り付けを考案
9.日本人のソロ歌手として史上初の日本武道館でのコンサートを実現
1.は、日本のロックアーティストなら矢沢永吉さんですが、歌謡曲では、当時来日中だったアメリカの歌手を参考に、西城さんがマイクパフォーマンスをしたのが初めてとのこと。
そのため、スタンドマイクを使ったアクションについては「矢沢が先か、西城が先か」とも言われています。
ちなみに曲で言えば、1974年2月に発売の8枚目のシングル「薔薇の鎖」から取り入れたということです。
2.は、西城さんの曲でたとえると、1973年5月発売の8枚目のシングル「情熱の嵐」と、同じ月の9枚目のシングルとして発売の「激しい恋」が代表的となるでしょう。
「情熱の嵐」におけるコール&レスポンスとは、例を挙げるなら、
西城「♪君が望むなら」
観客「ヒデキ!」
西城「♪命をあげてもいい」
観客「ヒデキ!!」
というように、西城さんが歌うと、民謡の合いの手のようにファンが「ヒデキ!!」と叫ぶ形となっていました。
でもテレビワイドショーの追悼特集では、
西城「♪やめろと言われても」
観客「ヒデキ!」
西城「♪今では遅すぎた」
観客「ヒデキ!!」
のように、西城さんがコール&レスポンスを取り入れた先駆者として例にとった曲は「激しい恋」だったのでした。
では2曲目として、コール&レスポンスの代表的な曲である「激しい恋」を下のYouTubeのリンクをクリックして試聴してみてくださいね。
●西城秀樹 / 激しい恋 2分53秒
作詞:安井かずみ
作曲・編曲:馬飼野康二
歌:西城秀樹
ファンが「ヒデキ!!」と呼びやすいように隙間をあけて作られたとも捉えることができそうです。
そういえば演歌歌手のコンサートでも、このコール&レスポンスが見られる歌があります。
たとえば氷川きよしさんのデビュー曲の「箱根八里の半次郎」サビの部分で、
氷川「♪やだねったら やだね」
観客「きよし!」
氷川「♪やだねったら やだね」
観客「きよし!」
うーん、こうやって書くだけでも、なんだか氷川さんの熱狂的ファンであるおばさんたちが思い浮かんできそうです…。
3.は、かつて大阪スタヂアム、通称「大阪球場」と呼ばれていたころ。
その大阪球場で、日本人ソロアーティストとして初めてスタジアムコンサートを行なったのが西城さんだったのです!
★チョコッと一言!
グループでの初のスタジアムコンサートは、1968年のザ・タイガースだったそうです。
しかも、スタジアムコンサートのうち、西武の球場コンサートでは、歌や演奏だけでなく、現在では許可されない巨大クレーンにより宙づりになった「ゴンドラ」の中での歌唱や、ヘリコプターを使った派手で危険な演出も、西城さん自身のアイデアで実行。
さらには、日本で初めて導入したレーザー光線による演出効果など、巨大クレーンやヘリコプターをのぞき、いまではどのアーティストの野外コンサートでも当たり前に取り入れられている演出をいち早く導入し実行していたのも西城さんだったのでした!
4.は、もともとスタジアムコンサートを行なう前に、西城さんがパーソナリティーを務めるラジオ番組で、「観客のみんなが見えるように、懐中電灯を持ってきて」と、コンサートに参加するリスナーに向けて呼びかけたことがきっかけに。
これが観客がコンサートにペンライトを持ち込むようになった先駆けともなったそうです。
いまでは、観客のペンライトがサイリュームへと変わり、アイドルのコンサートや演歌歌手のコンサートで歌手が歌っている際、観客たちがサイリュームを振って楽しむのがおなじみの光景となっていますね。
5.は、西城さんが1981年に、亜細亜テレビの香港音楽祭にスペシャルゲストとして出演したことがきっかけとなっています(番組視聴率は90%!)。
同じ年の9月には、香港で初めてのコンサートを開催したことで、新聞の見出しには「天皇巨星(超スーパースター)」と表記され、「最もセクシーな歌手」と絶賛されたことも。
プラチナディスクを獲得したことで、アジアでの日本人歌手進出の先がけとなったのでした。
7.は、TBSで放送されていた人気音楽番組「ザ・ベストテン」で、なんと第1回の放送から常連として出演していたこと!
1979年2月に発売された西城さんの28枚のシングルであり、大ヒット曲の「ヤングマン YOUNG MAN(Y.M.C.A)」は、「ザ・ベストテン」で2週連続「9999点」の満点で第1位を獲得という唯一の記録を打ち立てたこともあったのでした!
もともと「ヤングマン」は、アメリカの男性6人組の音楽グループ「ヴィレッジ・ピープル」の代表曲であり、1978年に発売の「Y.M.C.A」のカバー曲でもありました。
当時は、西城さんがコンサートで「Y.M.C.A」の原曲の英語を歌ったところ、観客の反応もよかったそうです。
そこで西城さんは、「この曲をカバーして歌ってみたい」とレコード会社に直訴したものの、ヴィレッジ・ピープルは同性愛者(ゲイ)を象徴するバンドとして有名だったこと。
「Y.M.C.A」の曲ももともとはゲイの応援歌だったので、「アイドルがこんな歌を歌えるわけがないだろう」と、担当者もまったく取り合ってくれなかったそうです。
でも西城さんは諦めず、「若者に向けた応援歌」に歌詞を変えて、アレンジも自分が歌いやすいように変更。
同じ話題で、8.にあった、両腕を使って「Y.M.C.A.」を表現する人文字振り付けを西城さんが考案したことで、「ヤングマン」の曲とともに振り付けも大流行し、子供から大人まで親しまれ大人気となったのでした。
では、3曲目として、曲が大ヒット、振り付けが大流行、子供から大人まで親しまれ大人気になったという3拍子(?)そろった「ヤングマン」の曲を下のYouTubeからのリンクで試聴してみてくださいね。
●西城秀樹 / ヤングマン YOUNG MAN (Y.M.C.A.) 4分45秒
作詞・作曲:Jacques Morali・Henri Belolo・Victor Wills
日本語詞:あまがいりゅうじ
編曲:大谷和夫
いやー、やっぱりこの曲はいいですね~。
「ザ・ベストテン」ではいろんな衣装で「ヤングマン」を歌っていた西城さんでしたが、中でもアメリカの星条旗をそのまま逆さにしたような、いかにもアメリカっぽい衣装でこの曲を歌っていた西城さんはいちばんふわさしかったですし、印象に残っています。
9.も、これまた大物アーティストや新人バンド。
アイドルグループであっても、音楽をやっている以上は誰でも一度はここに立ってコンサートをしたい、アーティスト憧れの場所である日本武道館において、日本人ソロ歌手としては初めての日本武道館公演を行なったのも西城さんだったのでした!
どんだけスゲェんだ、この人!!
初めて西城さんが日本武道館公演を行なったのが、1975年11月3日。
以降1985年まで、実に11年連続で開催していたということでした!
◆アースコーポレーション設立後に発売された第1弾シングルは「ギャランドゥ」だった
記事の最初でもご紹介しましたように、西城さんは1983年1月21日に、それまでの芸映から、スタッフとともに円満退社し独立。
アースコーポレーションという新しい新事務所を設立し、所属していました。
その新しい所属事務所設立後、44枚目のシングルとして発売されたのが「ギャランドゥ」。
それまで、若かりしころの西城さんが行きつけの美容室でなんとなくカットしたのが人気の髪型となり、当時は「ウルフカット」とも呼ばれていた髪をバッサリ切り、デビュー以来初めて耳を出すくらい短くしたときの曲でもあったのでした。
では、4曲目となる「ギャランドゥ」を下のYouTubeのリンクから試聴してみてくださいね。
●西城秀樹 / ギャランドゥ 3分9秒
作詩・作曲:もんたよしのり
編曲:大野和夫
髪型だけでなく曲もイメチェンしたような感じがした「ギャランドゥ」の曲。
それだけてなく、「ギャランドゥ」の曲以降、1983年6月に発売の45枚目のシングル「ナイトゲーム」は、イギリス生まれでアメリ育ちのロックシンガーであるグラハム・ボネットの「Night Games」をカバーした曲であったことや、1984年10月に発売の49枚目のシングル「抱きしめてジルバ -Careless Whisper-」は、イギリスの音楽グループ「ワム!(Wham! featuring George Michael)」の「Careless Whisper」をカバーするなど、洋楽を次々とカバーするようになったのでした。
★チョコっと一言!
同じく、郷ひろみさんも続いて「ケアレス・ウィスパー」をリリースしたため、カバー曲としては競作となったけれども、日本語歌詞は西城さんと郷さんとで異なるとのことです。
ギャランドゥについては、この曲を作詩した、元もんた&ブラザーズのボーカル担当だったもんたよしのりさんによりますと、実はギャランドゥとはデタラメ英語の女性名であったことが明らかに。
ただ、発売当初あまりにもギャランドゥの意味に関する電話が所属事務所に来たため、所属事務所側は「gal(ギャル) and do(アンドゥ)」。
昼間はOL、夜は小悪魔というような、ちょっと魅力のある女の子意味であると説明することになったということでした。
もうひとつ、ギャランドゥというと、西城さんの場合なぜか「へそ毛」のイメージが強いですよね(笑)。
それについては、あえてここでは触れず、後日サブブログの「テレビで紹介されました!」の、西城さんが出演していたテレビ番組に関する記事で、アイドル歌手のころによく出場していた「オールスター水泳大会」の項目で触れる予定にしています。
なお、今回のYouTubeのリンクでは記事の内容にちなんでノリノリのヒット曲をご紹介しましたが、西城さんのシングル曲の中にはバラードにもいい曲があるんです。
たとえば、1978年8月に発売の26枚目のシングル「ブルースカイブルー」や、1979年9月に発売の30枚目のシングル「勇気があれば」の2曲は、西城さんのバラード曲における名曲とも言えるかもしれません。
ちなみに、西城さんがお亡くなりになるまでにリリースされたシングル曲は、デビュー曲の「恋する季節」から2006年9月の「めぐり逢い」まで、計86枚となっていました。
今後はCDアルバムにおいても追悼盤が発売される可能性もある中、下にご紹介のリンクは、2010年4月28日に発売の、西城秀樹さんのベストアルバムのCDで、なんと3枚組!
Disc1は24曲に、Disc2は19曲、Disc3は19曲と、全62曲を収録していて、今回の記事ではご紹介していなかった、フジテレビのアニメ「ちびまる子ちゃん」のエンディングテーマにもなった「走れ正直者」の曲がDisc3の17曲目に収録されています(サイト内では試聴もできます)。
また、この記事では触れませんでしたが、次の記事では追悼記事の続きとして、「ハウスバーモントカレー」をメインに、西城さんが出演していたCMについて書く予定ですからね。