宇宙人ジョーンズ「海女」篇に出演の加山雄三について 視聴後の感想も | 続きは、CMのあとすぐ!

続きは、CMのあとすぐ!

インターネットの企業サイトや、動画サイトにあるテレビCM動画を中心にご紹介しながら、CMや動画、CMソングについて、私独自の視点でいろいろと感想を述べているブログです。

この記事は、2018年3月19日に更新の、宇宙人ジョーンズ「海女」篇に出演の和久井映見、ガンバレルーヤについての続きて、文字数オーバーにより更新できなかった加山雄三さんのプロフィールと視聴後の感想に関する内容となります。

 

では、前回の記事で文字数オーバーとなったことでご紹介できなかった、御大加山雄三さんのプロフィールについて、早速簡単にご紹介しましょう!

 

◆加山雄三について

 

加山雄三(本名は池端 直亮(いけはた なおあき))さんは、1937年4月11日生まれの神奈川県横浜市出身で、来月でもうすぐ81歳を迎えようとしています!


職業は歌手のイメージが強い加山さんですが、実はシンガソングライターであり、俳優、タレント、ギタリスト、ウクレレ奏者、ピアニスト、画家と、いくつもの面を持っています。


父は俳優の故・上原謙さんであることは、映画好きなかたであればご存じのことでしょう。


加山さんの歌手としてのデビューは1961年で、「夜の太陽」という曲でした。


そんな加山さんの数多い代表曲といえば、なんといっても「君といつまでも」でしょう。


この曲は、1961年~1981年にかけて制作された、全17シリーズからなる「若大将シリーズ」の映画のうち、1965年12月に公開された「エレキの若大将」の主題歌として発売され、売り上げ枚数が350万枚というトリプルミリオンを達成したスゴイ曲でもあったのでした!


「若大将シリーズ」も新作が公開されるたび大ヒットし、加山さんの代表作にもなりましたね。

 

若大将の全17シリーズのタイトルについては、年代とともに一覧にすると以下のようになります。

 

映画大学の若大将(1961年)
映画銀座の若大将(1962年)
映画日本一の若大将(1962年)
映画ハワイの若大将(1963年)
映画海の若大将(1965年)
映画エレキの若大将(1965年)
映画アルプスの若大将(1966年)
映画日劇「加山雄三ショー」より歌う若大将(1966年)
映画レッツゴー!若大将(1967年)
映画南太平洋の若大将(1967年)
映画ゴー!ゴー!若大将(1967年)
映画リオの若大将(1968年)
映画フレッシュマン若大将(1969年)
映画ニュージーランドの若大将(1969年)
映画ブラボー!若大将(1970年)
映画俺の空だぜ!若大将(1970年)
映画若大将対青大将 (1971年)
映画帰ってきた若大将 (1981年)

 

若大将シリーズの作品は、下のリンクをクリックすると、DVDはもちろん、DVD-BOXとしても販売されています。

 

加山雄三若大将シリーズ

 

音楽については、次に挙げる3曲も加山さんの代表曲と言っていいかもしれません。

 

♪「蒼い星くず」

♪「お嫁においで」

♪「海 その愛」

 

下にご紹介のリンクは、2012年9月26日に発売された加山さんのベストアルバムで、全20曲のうち、記事内でご紹介の「君といつまでも」は2曲目で、「ぼくの妹に」が12曲目に。 「蒼い星くず」は5曲目で、「お嫁においで」は6曲目、「海 その愛」は13曲目に収録されています(サイト内では試聴もできます)。

 

PREMIUM BEST [ 加山雄三 ]

 

けれど、映画については「若大将シリーズ」が加山さんのデビュー作ではなく、1960年に公開の「男対男」というタイトルの映画が加山さんの初出演作てもあるようです。


それに、若大将シリーズののぞいた映画では、意外にも加山さん主演の作品がまったく見られませんでしたね。

 

しかし、そんな若大将シリーズの映画でで絶好調だったはずの加山さんにも、過去には借金の問題がありました。

 

それは、1965年ごろに神奈川県茅ケ崎市に「パシフィックホテル茅ヶ崎」という名称のリゾート施設を開業し、2年後に取締役に就任するものの、1970年3月に23億円の負債を抱え倒産したこと。


ホテルは18億円で売却され、監査役だった加山さんは、当時は健在だった父の上原さんとともに巨額の債務を抱えたことがあったのでした。


しかも、当時女優の松本めぐみさんとの結婚が世間を騒がせ、若大将シリーズも終了したことで、かつてない不遇の時代を迎えていた加山さん。

 

ナイトクラブ、キャバレー回りをするも、ギャラはほぼ全額借金の返済に充てられ、質素な生活へと追い込まれてしまいます。

 

それでも、先ほどの巨額の借金は10年で完済したということでした(凄)。


ホテル以外に、もうひとつ閉鎖したことがある施設があって、1991年に、新潟県南魚沼郡湯沢町に「加山キャプテンコーストスキー場」という名称のスキー場を開業。

 

2010年~2011年までのスキーシーズンまで営業しましたが、2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響や、若者のスキー離れなどによる経営資金調達困難などが影響し、同じ年の7月に閉鎖を決めたということです。

 

その一方で、1998年3月21日、静岡県賀茂郡西伊豆町堂ヶ島に「加山雄三ミュージアム」を開館。

 

私は、この前放送されたテレビ東京の旅番組「出川哲朗の充電させてください」のうち、西伊豆ルートを電動バイクで走っていた回で、初めて「加山雄三ミュージアム」の存在を知ったのでした。

 

番組では、撮影の許可を経て、加山雄三ミュージアムの室内も紹介されることに。

 

そこには、若かりしころの映画の秘蔵映像や、映画のセット、愛用のギターなどの貴重な資料が展示されていました。

 

ほかにも、画家としての一面が見られる専用のコーナーがあったり、「光進丸」の操舵室の再現コーナーなどもあったのでした。

 

話を出演作に戻して、テレビドラマについては、1972年にNHKで放送された「包丁」というタイトルのドラマが加山さんの初出演作となるようです。


また、時代劇の初出演作については、BSフジでも何度か再放送されている「江戸の旋風(えどのかぜ)」で、南町奉行所定町廻り同心で、主人公の千秋城之助を演じ、第1シリーズから「同心部屋御用帳 新・江戸の旋風」まですべてのシリーズで主演を務めていました。


また、東芝日曜劇場で放送の「ぼくの妹にシリーズ」は、1976年~1984年にかけて続いたドラマでもありました。

 

作曲家(まれに作詩も)として活動するときには、ペンネームで弾厚作(だん こうさく)と名乗っている加山さん。

 

先ほどもご紹介の「海 その愛」の曲の作曲が弾厚作名義でもありました。

 

それ以外には、日本テレビ「24時間テレビ 愛は地球を救う」のテーマソングであり、エンディング(2014年・2017年はオープニングでも)で歌われる「サライ」も、弾厚作名義で加山さんが作曲を担当しています。

 

「サライ」は、もともと1992年の「24時間テレビ15」の第15回記念のときに、シンガソングライターで、来年再結成が決定しているアリスの谷村新司さんが、視聴者から寄せられた愛のメッセージをもとに代表作詩として取りまとめることに。

 

「24時間テレビ」のエンディングでは、谷村さん、加山さんのメインボーカルにより、メイン会場との2本武道館に集まった出演者、ならびに日本全国のチャリティー会場を通じて大合唱されることでおなじみの曲となっています。


ほかにも、2015年には、人気女性アイドルグループももいろクローバーZのメンバーである玉井詩織さんが若大将と名乗っていたことに対して、自身と同じ「若大将」の愛称を名乗ることを加山さん自ら公認するなど、意外にもももクロとの接点もあったことが、「ももくろChan」の番組でわかったのでした。

 

◆加山雄三を語るうえで、このことも書いておかなければ NHK紅白歌合戦で少年隊の「仮面舞踏会」の曲を「仮面ライダー」と言い間違えたこと

 

簡単ではあっても、加山さんを語るうえでこのことも書いておく必要があります。

 

なんだか、


「お前ごとの素人アメブロガーが、俺の過去の恥をわざわざ記事なんかで書くなよ~」

 

と、加山さんは怒りながらも、おそらくは過去に本当にあった笑い話ということで笑って許してくれそうですが(苦笑)、加山さんといえば、どうしても1986年の大晦日に放送された「第37回NHK紅白歌合戦」のことについても書いておかなければなりません。

 

それは、第37回の紅白で加山さんが白組キャプテン(紅組キャプテンは斉藤由貴さん)を務めていて、当時ジャニーズの人気アイドルグループで、紅白初出場だった錦織和清さん(リーダー)、植草克英さん、東山紀之さんの3人による少年隊の、当時の出場曲「仮面舞踏会」を、

 

「紅白初出場、少年隊で『仮面ライダー』!」

 

と言い間違えてしまったことでした。

 

そのころは、いまのようにパソコンもスマホもなく、娯楽といえばもっぱらテレビだったので、私は第37回の紅白をリアルタイムで見ていました。

 

あまりにも信じられない間違いだったので、

 

「あの加山さんが、『仮面舞踏会』の曲名を『仮面ライダー』と言い間違えるなんて…。

 いま紅白をリアルタイム見ているはずの自分は、ひょっとして夢を見ているのかも?」

 

と思ったくらいでしたね。

 

テレビのバラエティ番組も、加山さんが司会を務め出演している番組が1965年からありましたが、2015年よりスタートした、BS朝日で毎週水曜日午後23時~23時30分まで放送されている、音楽トーク番組「歌っていいだろう」が、現在自ら司会を務める番組となっていました。

 

そして加山さんのCMについては、さすがは御大! と呼べるくらい、1967年の古い時代より数多くのCMに出演していたのでした。

 

以下は、加山さんが出演していた主なCMの一覧となります。

 

1967年

テレビコカ・コーラ

 

1975年
テレビビッグジョン 故・岡田眞澄さんと共演
 

1975年~1979年

テレビ井関農機 トラクター

「耕太」&「耕二」シリーズ

 

1977年~1978年
テレビサントリー

「サントリービール純生」

 

1977年~1979年

テレビ日産自動車
「ブルーバード」(810型)

1980年~1987年
「レパード」(F30型)

1986年~1987年

「レパード」(F31型)

 

テレビ資生堂

 

1978年~1986年
テレビ松下電器産業(現・Panasonic) エアコン「楽園」

 

1982年
テレビAsahi アサヒビール(→Asahi アサヒ飲料)

「三ツ矢サイダー」「バヤリース」(


テレビライオン デンターTライオン

 

1984年・1986年
テレビ味の素 ギフト

 

1985年
テレビ大塚製薬 オロナミンC
テレビヤマザキナビスコ(現・ヤマザキビスケット) 

クラッカー「プレミアム」

 

1986年
テレビ朝日生命 

ニューワイド・ニューエース
テレビNTTタウンページ

 

1989年
テレビアサヒビール 生ビール

 

1994年
テレビサッポロビール

「生ビール黒ラベル」田原俊彦さんと共演
 

テレビ第一生命 

一家で出演


テレビJRグループ

「フルムーン夫婦グリーンパス」妻の松本めぐみさんと共演
 

2006年

テレビメットライフ生命保険

 

2008年
テレビ三洋物産「海物語シリーズ」
テレビ大洋薬品(現・武田テバファーマ)

「ジェネリック医薬品」

 

2015年
テレビファイザー「肺炎球菌ワクチン」
テレビ日清食品「どん兵衛」

 

2017年
テレビタマホーム 

 

コカ・コーラのCMについては、当時モノクロの作品としてシリーズ化されていて、YouTubeでも動画がアップされていたのを視聴したことでも覚えています。

 

また、日産自動車のCMて補足をしておきますと、「レパード」と「ブルーバード」を取扱うブルーバード販売会社 (日産店)の新規取扱車種として発売された「リベルタビラ」(N12前期型)のCMに、「レパード」(F30型)のCMキャラクターの加山さんと、「ブルーバード」(910型)のCMキャラクターを務めていた歌手の沢田研二がともににCM出演し、2人揃って「僕たちの新しい仲間をよろしく」とアピールしていたことがあったそうです。

 

最近の加山さん出演のCMといえば、ついこの前まではタマホームだったけれど、特にBS民放を見ていれば必ず目にするくらいよく流れている、サントリーのサプリメント「セサミンEX」ですね。

 

それを飲んでいるためか、CMでは以前にも増して若返って元気になっているようにも見えます。

 

2014年9月27日より、加山さん自身による最後の全国コンサートツアーとして、全国47都道府県53か所にて「若大将EXPO ~夢に向かって いま~」(最終公演は2015年7月25日の東京・NHKホール)を開催したことで、コンサートツアーには節目をつけたことがわかりました。

 

それでも、定期的に行なっているコンサートでは、なんと3時間のステージをこなしているとナレーションで説明していたように、80歳を迎えてもますますパワフルな加山さん。

 

今後も、永遠の若大将として、歌手以外にもますますのご活躍を期待したいですね。

 

加山雄三さんの商品については、せっかく「加山雄三ミュージアム」に販売サイトがあことから、興味のある方は下のリンクをクリックしてお目当ての商品を探してみてくださいね。

 

加山雄三ミュージアム

 

視聴後の感想

 

◆「海女」篇のCM60秒バージョンで、約40秒あたりのシーンに移った巨大な魚がマンタであることを確信した理由について

 

「海女」篇のCM60秒バージョンでは、始まってから約40秒ごろに宇宙人ジョーンズが巨大な魚の群れの中を水中で泳いでいたシーンがありましたね。 

 

私は最初この群れを、どちらも形が似ていることから「エイ」か「マンタ(オニイトマキエイ・以下、マンタ)」のどちらかではないかと思ったのでした。 

 

けれど、エイとマンタの決定的な違いがわかったことで、私なりに「海女」篇の60秒バージョンを振り返った記事ではマンタの群れと確信して書いたのでした。 

 

なぜなら、エイは板鰓亜綱に属する軟骨魚類のうち、鰓裂が体の下面に開くものの総称。 

 

マンタは、トビエイ目トビエイ科に属する世界最大のエイであること。 

 

…といった種別ではなく 、

 

エイ 

海底に住んでいて、カニやエビや貝などを食べる 

 

マンタ

熱帯の海のごく表層を遊泳し、泳ぎながらプランクトンを食べる。 

 

といった、海底に住んでいるか海の表層にいるのかの違いによって、宇宙人ジョーンズが水中を猛スピードで泳いでいた際、水中で遭遇した巨大な魚をマンタと確信できたわけです。 

 

なお、マンタは大きいものでは体の横幅8mで、体重は3トンに達することも…! 

 

前々から巨大な魚であるとは知っていたものの、あらためてマンタの大きさを実感しましたね。

 

◆宇宙人ジョーンズも人間の感情を持った宇宙人であったことに安心しました

 

それと、惑星が命令するままに、12年もの間休みもなく、ありとあらゆる職業を体験することで地球調査を行なっていた宇宙人ジョーンズ。

 

もしこれが、人間が持つ感情とかが一切なく、単に命令だけを素直に聞いて従う、まさにジョーンズはロボットかアンドロイドのような存在のよえに捉えるところでした。

 

でも、今回の「休みとは」篇で、休みをとることを知り、「海女」篇ではついに地球調査していた職場を放棄し、結局仕事をしていたものの、自力で泳いでハワイに辿り着いたジョーンズを見て、

 

「あぁ~、『休みとは』篇のCMにあったように、いざという時には怒りをあらわにし、自ら職場を放棄して休みをとるなど、宇宙人ジョーンズとはいえ、人間の感情を持った人間らしい宇宙人だったんだなぁ~」

 

と安心しましたね。

 

 

ということで、以上宇宙人ジョーンズ「海女」篇の記事をお送りいたしました。

 

今回の記事はいかがでしたか?

 

ブログランキングに参加していますので、もしも読んで面白いな~と思ってくださいましたら、ぜひ下のバナーをクリックして応援してくださいね。

 

テレビ・ラジオ 人気ブログランキング

 

FC2ブログランキング