私、ブロガー名「コメンテーター」を名乗っている以上、意見は出来る限り中立的に、主観ばかりにならないよう気を付けています。しかし今度ばかりは、反発・離反覚悟のうえで自分の考えを述べます

 

私自身も、12年前の東日本大震災の被災者です。その立場として言わせてもらいますが、震災直後に当時東京都知事だった石原氏が「これはある種、天からの罰だ」と発言して反発を食らったことがありました。確かにあのタイミングで、しかも知事の立場で言うことではないな・・と思う一方、まんざら外れていないんじゃないか?と率直に思いました。

 

災難に遭うのは、何かしら理由があると言われます。例えば次のような人達、身近にいないでしょうか。

・周囲に迷惑をかけていながら、自分の行動を省みたり改めたりせず、罰則を受けるか死にそうな目に遭うかしないと気がつかない人(←何も無ければそれで良いと思い込んでいる人多すぎる!

・重大で深刻な事態になっているのに、「まぁいいか」とその場から逃げてやり過ごす人

・自他ともに正しいつもりでいて、実は間違っていることをしている人

 

なお震災から数ヶ月後の民放番組で、ある初老女性が「うちの夫は、自分が間違っていても絶対に主張を曲げない。あの日(3月11日)も、まわりが止めたのに言うことを聞かず、外を歩き回って死んだ。少しは人の話を聞けばよかったのに」と、淡々と話していたのが大変印象的でした。この女性、夫に今までどれほど嫌な思いをさせられてきたんだろう・・と想像し同情してしまった。

 

もちろん、全員に当てはまることではありません突然の災害によって世を去り、家族や職場同僚にとって大きな痛手になった人も多くいるでしょう。しかし上記の例に当たる人々も、少なからずいると思いませんか!?

今申したいのは「何かしらの原因があって、当然の結果が出る」という道理。道理には狂いがないと言われます。たとえ、人がいかに感情的に判断しようとも

 

続きは次回以後にて。今だから公表したい「震災当時、なかなか報じられなかった実態」などを出していきます。