赤穂浪士の話は中学生の時に初めて知って、虜になりました!

ただ、「赤穂浪士の史実」と「忠臣蔵」が別物だというのを知ったのは、それから少し後のことです。

 

忠臣蔵」は、熱狂した江戸市民が義士達をスーパーヒーローに、吉良上野介を徹底的な悪者に仕立て、史実に無いことも盛り込んで「物語」にしたもの。史実とはちょっと違っていたようですね。

それでも、令和の現在にあってなお日本人の心を捉え続けているのは素晴らしい。「忠誠をつくす」、その心は日本人の底流にあるのでしょう。

忠臣蔵では吉良上野介1人が悪役になっていますが、実際本当に憎むべきは、身分階級差賄賂やコネの横行外様大名に対しての冷遇差別など当時の風潮、そして大量の浪人を生むに至った政道ではないか。その社会風刺を、赤穂浪士の討ち入りにかぶせて作られたのが「忠臣蔵」と言われています。

 

人物を見てみると、浅野内匠頭は神経質で癇癪持ち、吉良上野介はクセはあるが風流人だったといいます。

松の廊下刃傷事件にしても、何となく今にも通じるものが見えてくる。

「勅使のもてなし」という、絶対に失敗や粗相が許されない緊迫・ピリピリした空気の中、当日になってから「今更そんな初歩的なこと聞くか!?」という話を部下にされたら、「いい加減にしろよ、お前!!」と言いたくなるし、部下も部下で大仕事の直前にふと不安になり「あれ、どうだったっけ?」「もう一度きいておかなきゃ」となることがある。大行事の緊迫が生んだ悲劇とも解釈できます。

また、浅野家の家臣たち側も「主君が処罰され死去した」というショッキングな事実だけを大きく受け止め、情報も錯綜する中で被害者意識や恨みを大きくしていったとも思われる。

喧嘩両成敗にならなかったのは、内匠頭のしたことが余程深刻で重大だったのでは? だから江戸城の不浄門から出され、庭先での切腹、その日のうちに埋葬ということに。やはり最も気の毒なのは、赤穂浪士たち・・だったのですね。

 

それでも「主君の仇を討った」史実は、その忠誠心が悲しくもあり、美しく魅力的とも言えます。