昨夜、N響アワーで、チェリスト堤剛の演奏で、ドヴォルザーク作曲「チェロ協奏曲」を聞いた。僕は過去にも、彼の演奏で同じ作品を聞いた覚えがある。しかし、会場とかオーケストラの名前がどうしても出てこなかった。するとこの放送が終わった頃、音楽好きな友人から、「N響アワーを見たか?」と電話がかかってきた。彼の話によると、30年位前に、彼と見に行ったN響のコンサートで、堤剛がドヴォルザークを演奏していたと言うのだ。僕が思い出せなかった事を友人は良く覚えていたのだ。その当時の僕は、まだ未熟だったのだろう。堤剛がどんな演奏をして、自分がそれをどう感じたかなどを良く覚えていない。しかしそれから30年たった僕は、昨日の演奏に好感を持つことができた。僕は、あまり人間的には成長していないが、これまで色々音楽を聞いたり、自ら体験したりして、「多少は音楽がわかるようになったのかな。」と、少し嬉しくなった。堤剛は1942年生まれだが、年齢を感じさせない確かなテクニックで、朗々とチェロを鳴り響かせていた。


この交響曲は、ベートーベンが英雄ナポレオンを念頭において作曲し、フランス公使館を通じてナポレオンに献呈されることになっていたが、ナポレオンが民主主義にそむきフランス皇帝の位についたことを知り、「あの男も、ありふれた人間にすぎなかった。彼は、すべての人権を踏みにじり、自己の野心を満たすのだろう。」とベートーベンは怒りに体を震わせたとのことだ。確かに、このシンフォニーには、「気高さ」と「気品」が貫かれている。このシンフォニーにおいて、特に第一楽章は、解釈の余地が大きいのかもしれないが、なかなかいい演奏にお目にかかれない。「指揮者の善し悪しは、この第一楽章の演奏を聞けばわかる。」と思ってしまうぐらいだ。ベートーベンは、音楽に様々な変革をもたらした作曲家だが、第三楽章のホルン三重奏を聞いていると、発想がいかに豊かであったかが想像できる。また、僕にはこのシンフォニーについて、今でも忘れられない記憶がある。僕が、大切な人を亡くした次の日、たまたまラジオのFM放送のスイッチを入れた時、第二楽章の「葬送行進曲」が流れていたのだ。
美術家の横尾忠則が、「宝塚歌劇」が好きだと、あるテレビ番組で言っていたのに影響されて、宝塚が好きである母と、2回ほど兵庫県の宝塚市まで公演を見に行った。1回は、有名な「ベルサイユのばら~オスカル編」だった。2回とも、まずメインであるミュージカル仕立ての「音楽劇」があり、それが終わると短い「ショー」があって、最後に「フィナーレ」があった。「フィナーレ」は「ラインダンス」から始まり、それが終わると幕が上がって「大階段」が登場し、出演者が上から降りてくる「パレード」が始まる。最後に階段から降りてきた「トップスター」が「オケピ(オーケストラピット)」と観客席の間に設けてある「銀橋(ぎんきょう)」まで主要キャストと進んで、観客に挨拶をして、公演は終わる。「音楽劇」のクライマックスまで盛り上げる演出は巧みであった。また、「ショー」のダンスはあくまでもオーソドックスなものであった。男役の独特な発声法といい、「伝統」を感じさせる公演だった。