昨年、私の母の事を記事にして、スーパーな母への称賛のコメントを沢山いただきました。
さて、本日は「父の日」なので、そのスーパーな母を支える父のことを少し述べようと思います。
以前にも書きましたが、母は視覚障碍者です。右目は水晶体を取ったの全く見えず、左目が弱視です。
そして父は健常者です。
そんな二人は51年前、お見合い結婚したんですが、なんと、お互いしっかり顔を合わせたのは結婚式当日だったとか。
もちろんお互いの顔は写真で見たようですが、見合いの席で会うことはなかったそうです。
母は「結婚するなら健常者と!」と若い時から、そう思っていたようですが、半世紀前なんて今よりももっと障碍者への偏見や差別があった時代だったので、「健常者との結婚」を半ば諦めていたようです。
なので、話があれよあれよと決まって、母も、母方親戚も驚いたようです。
ちなみに、新婚旅行に出かける列車の都合で、結婚披露宴を中座したそうですが、その時、母の母はふと不安になったのか、披露宴会場で「知らん人についていかんごつね!」と大声で言ったので、会場は大爆笑の渦に包まれたとか。
まぁ、結婚式当日に会った二人が、その日に旅行に出かけるので、祖母が不安に思うのも仕方ないですよね。
で、昨年めでたく金婚式を迎えた父と母。
男と女の愛より、同志といった感じです。
というのも、「私が養うけん、私の目になってくれればよか。」と母の弁。
父は、自分の給与では一人食べていくのもやっとで、生きていくためには、収入が安定している女性と結婚した方が良い、といった感じだったようです。
それでも、よくぞ結婚に踏み切ったなと思いますし、別居、離婚に至らなかったなと感心します。
さてさて、母はできる範囲で家事をこなしますが、母ができない事は父がします。
また地区の活動(清掃等)は、母が参加できないので、必ず父が参加します。
視覚障碍者の集まりや旅行には、母の介助としてついていき、お世話係として母の友人たちには人気者らしいです。
へそ曲がりなところがあるし、“できた人”とは言えないんですが、人当たりがいいので、好かれるようです。
そんな感じで、互いの足りない部分を補い、支え合い、“つっかえ棒同志”な私の両親。
母曰く「二人で“一人前”」だそうです。
7月1日に息子を連れて里帰りするので、これといった父の日のプレゼントやカードは送っていないんですが、その分帰国したら親孝行するつもりです。