起業して良かった、と思うことはいろいろと
あるのですが、その中でも最強に良かったと
思えたのは、家族に急な不都合が起こった時
いつでも時間を開けて、動けることです。
つい先日も父がゴルフ場で体調不良になり
救急搬送されました。
結果的には、幸いなことに二日間の入院だ
けで済んだのですが、わたくしと妻は、母
からの電話で、即、病院に駆けつけること
が出来ましたが、弟や弟の妻は、勤務から
なかなか抜けることができなくて、大変そ
うでした。
こういう時は、権利収入の得られる事業に
関わっておいて本当に良かった、と実感で
きる瞬間でもあります。
<%lastname%>さんも、ぜひご自分の収入
源に、ひとつは権利収入を加えることをお
ススメします。
さて、このメルマガでは「自分が発信者に
なること」を強くオススメし、またわたく
し自身がその実験台となっているわけです
が、最近その発信仲間と話していて、重要
な気づきがありました。
それは「何を」「どう伝える」よりも「誰
が」が重要な時代になった、ということで
した。
数年前まで、特に首都圏では、ある種セミ
ナー・ブーム的な時期があり、目新しいコ
ンテンツであれば、かなり光学なものでも、
どんどん人が集まっていました。
しかしここ1~2年は安定して集客できるも
のは限られているようで、単価もかなり下
がってきた印象を受けていました。
その理由が「何を」「どう伝える」よりも
「誰が」ということだ、と気づいたのです。
それは知名度とか、いかにしゃべりが上手い
か、とかではなく、その講師の「在り方」を
受講される人たちに見抜かれてしまう時代に
なった、ということです。
もちろんコンテンツの質は高いほうが良いし
伝え方も上手いに越したことはないのですが
それ以上に、発信する人の「志」や「一貫性」
を問う人が多くなってきたのでしょう。
ということは、発信する側に立つ、というこ
とは、単に情報量や知識を増やすだけでなく
自分自身を「人として向上させる」機会にな
ることを意味しています。
日本人は長い間、気づかないように「従順な
労働者兼消費者」になるように教育されてき
たのですが、もうそろそろそういった受け身
の人生を卒業して、「自分の存在そのもの」
に喜びを感じられるような人生を築くことを
選ぶ時期に入ったと思います。
ちょっと重めのお話になってしましましたが
「発信する」ことで得られるのは、単に金銭
だけでないことを、別の側面からお伝えして
みたいというチャレンジでした。
ではまた次回をお楽しみに!