今まで書いたブログすべてを再構成する作業をしています。
途切れた時期もあったので、そう多くはないのですが、
2008年にlivedoorで書き始めて以来、約280本の記事を
書いてきました。
それらをひとつひとつ読み返しながら、フォントの大きさを
そろえ、文章と文体を直しているのですが、とても感慨深い
ものがあります。
特に3.11を経験した今となっては、それ以前の自分の言動が
どうしても軽々しく感じてしまいます。
幸いなことに、後悔するような記述には出会っていないのが
救いですが、今の自分から見ても、
「なんか分かったようなこと書いてて、イヤラシイなあ~」
と思うような点が少なからずあります(^_^;)
3.11の一日を経て、その翌日の3月12日。
その日は確か雲ひとつない素晴らしい晴天だったのです。
ひとりの友人が、被災地の友人を気遣って福島へ車を走らせて
いました。その途中に福島第一原発の爆発の一報が入り、必死
でその友人を呼び戻したことを覚えています。
あの日の抜けるような青い空を見ながら、
「もしかしたら、明日、自分たちも生きていないかもしれない」
と、心の底から思ったことを鮮明に記憶しています。
幸いなことに、それは杞憂に終わりましたが、
危機は去っていません。
むしろ生き続けることで、わたくしたちはさまざまな現実に
自分の意思を表示することを求められています。
まさに今は平時ではなく、非常時のさなかにあります。
昭和18,9年頃の人々は、もしかすると今に似た気持ちで
毎日を過ごしていたのかな、などと、時々思ったりします。
今の自分にできること、なすべきことは何なのか。
「何のために」「誰のために」それを思わずに行動を起こす
ことだけは戒めています。
人生は一瞬一生。
まさに時は命ですね。今を大切に生きたいと思います。