昨日今日と、関東の気温がスゴいことになっていますね。
都内で連日の38度超えだそうです。
わたくしの周囲でも、猛暑のせいか、体調を崩す人が出始めています。
まずは睡眠を充分に取り、体調管理にはくれぐれもお気をつけ下さい。
さて、今日のトピックは「葬り去られた理由」です。
わたくしが「葬り去られた」というのは、二宮金次郎(尊徳)のことです。
このところ、きっかけがあって二宮尊徳に関する本を読んでいるのですが、
素晴らしい気づきをたくさんいただき、感銘を受けています。
二宮尊徳は、江戸時代後期に「報徳思想」を唱えて、「報徳仕法」という
農村復興政策を指導した農政家・思想家であり、今でいうなら「財政再建の
専門家」でした。
昭和30年代は日本中の小学校の校庭に、「薪を背負いながら読書する少年」の
銅像としてその姿をとどめて、何をした人かは知らなくても、二宮尊徳の名を
知らない人はほとんどいなかったのではないかと思います。
ところがある時期から、その銅像を見掛けることが少なくなってきて、今では
ほとんど見掛けることがなくなったように思われます。
当然ながら若者に「二宮尊徳」と言っても、知っている人は殆どいません。
その像を見かけなくなった理由のひとつは、「子どもが真似をすると交通安全
上、危険」という、実に馬鹿げたものだそうです。
尊徳の「報徳思想」の中に、「分度」という概念があります。
わたくしの解釈ですが、「分度」とは、その人のキャパシティ、器のことを指す
ように思います。「分相応」の「分」ではないかと思います。
一番弟子の富田高慶が書いた「報徳記」という本の中に、尊徳の財政再建の方法
が次のように書かれています。
「私の方法は、めいめいが家業に精を出して、一家の家計をしっかりとさせ、
倹約によって無駄な支出をはぶいて余財を生み出し、それによって生活に困って
いる人達を援助し、このようにして村々を豊かに復興させ繁栄させていくこと
である。」
つまり自分の「分相応」をわきまえて、仕事に精を出し、倹約しムダを省き、
それによって生じた余財で困っている人を助けることで財政再建が出来る、と
説いているわけです。
なぜこのような教えを説いた尊徳が、教育のメインストリームから葬り去られた
のでしょう?
むしろこの思想が、実に的を射た、真っ当で、今の時代にこそ必要だと感じる
のはわたくしだけでしょうか。
わたくしが想像するには、恐らく高度成長時代には、尊徳の思想は逆行であり、
邪魔に思えたのでしょう。
その結果、わたくしたちは物質的には人類史上最高度の豊かさを手に入れながら、
人とのつながりが感じられないほど虚しい人生を送る人が蔓延しています。
「貧乏人とは、足ることを知らぬ者のことをいう」
という、大師匠の言葉が思い出されます。
今こそ尊徳の思想を復活させ、幸せな日本を取り戻したいと望んでいます。