人の手の入っていない山は、みな雑木林としてたくさんの木々が芽吹きます。
そこには朧に新緑した山が微妙なグラデーションを見事に描き、その中には
山桜や藤がここぞとばかりに花を咲かせています。
淡い緑、深い緑、そこに桜色と藤色。日本の春の美しさがそこにあります。
さて、今日のトピックは「歴史」についてです。
昨日、「人生の目覚まし時計」の著者の富田さんと、プロデューサーの児島さんに
「物語」について伺った、というお話を書きました。
今日はその続きです。
「物語」について伺ったことによって、人と人をつなぐ要素には、人生における
それぞれの「物語」への共感が非常に重要で、その共感が極端に希薄化している
ことが、3万人以上の人が自殺してしまう今の日本の状況を作り出していることに
思い至りました。
ちなみにダライ・ラマ猊下によれば、チベット人に自殺はほとんどないそうです。
世界でも最も抑圧されたあの環境で自殺がないのは、信仰の力と物語の共有性が
強いからなのかも知れません。
話しは戻りますが、個人の「物語」を糸のように縒り合わせていくと、すなわち
それが民族の「物語」となります。
そしてそれはその国の「歴史」ということになるのかもしれません。
歴史を少し学ぶと、20世紀までの世界は「戦争の歴史」と言っても過言ではない
ことが容易に分かります。
そしてそこに共通するのは、敗戦国の多くは、その国、民族の歴史を奪われて
しまうことです。その具体的手法のひとつが「言葉/文字」を奪うことです。
なぜならそれによって、その国や民族の歴史を知る術が失われるからです。
稲垣節子先生に様々なことを教えていただくようになってから、自分が特に歴史に
ついて疎いことを自覚しましたが、一番衝撃的だったのは、そのことでした。
日本も敗戦後、旧仮名遣いが廃止され、古典に親しむことが難しくなりました。
朝鮮半島ではハングル文字が一般化され、今では漢字を読めない人の方が多く
なったと聞きます。
中国でさえ、漢字はどんどん簡略化され、古典を読める人は少なくなりました。
ましてや焚書坑儒のお国柄ですから、文化大革命の時に、貴重な古典の多くが
灰になったことは想像に固くありません。
そうして戦争の勝者、つまり為政者にとって都合のいい世界観が敗者にどんどん
刷り込まれていきます。その結果、その民族は誇りを失い、血統は薄くなり、
最後には民族と国ごと消滅してしまうのです。
これまで私の中に点として存在していた知識が、富田さんと児島さんから受けた
刺激によって、線で結ばれ、面を形成するようになりました。
おかげでわたくしの新たな役割に気づかせていただくことが出来たと感謝して
おります。
ありがとうございました。