堤 佑介Ⅹ
2018年11月15日(木)
昨日の夜、玲子さんに初めて会った。休日だったので、時間が来るのがもどかしかった。
こういう時は、何かにかまけるに限る。洗濯と掃除と、昼飯づくりと、買い物。それでも時間が余るので、本の整理をした。これが一番集中できていい。
だいぶ要らない本がたまってきたので、それらをまとめたら、けっこうな量になった。「捨てないで本舗」にメールしたら、すぐ返事が来て、今日中に段ボールを届けてもらえることになった。
積読本もけっこうあった。篠原から教わって、こないだ買った中山武志の『国富と戦争』もその一つだ。そうだ、玲子さんに会ったら経済について説明しなくちゃならないかもしれない。しかしこの大著を今から読むわけにもいくまいと思った。
目次を見てから、本文をパラパラめくってみた。次のようなくだりが目に飛び込んできた。
《しばしば、日本政府が巨額の債務を累積しているにもかかわらず、財政破綻を免れているのは、民間部門が多額の金融資産を抱えており、これらの金融資産が銀行などの金融機関を通じて国債の購入に充てられているからだと言われてきた。……しかし、この議論は、銀行が預金を元手にして国債を購入するという、現実の信用創造の過程を転倒させた見方を前提にしている。実際には、内生的貨幣供給理論が示すように、銀行の国債購入が預金を創造するのである。したがって、民間金融資産の総額は、政府債務の制約にはならない。……個人や企業といった民間主体とは異なり、政府は通貨発行の権限を有する。それゆえ、政府が自国通貨建ての国債の返済ができなくなることは、政府がその政治的意志によって返済を拒否でもしない限り、あり得ない。……自国通貨建てで国債を発行している政府には、個人や企業のような返済能力の制約が存在しない。その限りにおいて、政府には、財政収支を均衡させる必要性は皆無なのである。》
これだ、篠原が言ってたのは。しばらくその前後に書かれていることにくぎ付けになっていた。すべてを読みたくなったが、そんな暇はない。それに、こんな鮮やかな理屈を初デートの女性に説いたりするのは、限りなく野暮な話だ。口で言ったってすぐにはわかってもらえるわけでもないし。
それにしても、篠原という奴は、普通の社会学の枠をはみ出して、よくこんな経済理論の領域にまで羽を伸ばしてるな。あいつもやっぱりタダモノじゃない。
ふと時計を見ると、五時半近くになっていた。女性を待たせてはいけない。本の整理ですっかり手が汚れてしまったし、汗もかいた。あわてて本を閉じて、シャワーを浴びることにした。
約束より10分ほど早く着いた。予約した席は奥のほうだった。入り口のほうを見つめていると、やがてそれらしき女性が現れた。少しあたりを探すようにしながら、ゆっくりこちらに近づいてくる。しゃれた服装をしている。
私は手招きした。彼女はにこっと笑い、足を速めてテーブルのそばまでやってきた。
立ち上がって型通りの挨拶をし、二人一緒に席に就いた。「ほんとに若く見えるな、これで47歳?」と内心びっくりしていた。
白ワインで乾杯した。カチンという心地よい音。
私が先に口火を切った。
「お仕事は忙しいですか」
「いえ、それほどでも。経理ですからやることは毎日決まっていますし。堤さんはお忙しいでしょう?」
「ええ。僕はやっぱりそこそこ忙しいですね。それに今度、本社のほうから新しいプロジェクトを命じられて、その分忙しくなりそうです」
「どんなお仕事?」
「下町コンセプト」について簡単に説明した。
「いろいろと気もお遣いにならなくちゃなりませんね」
「そうなんですよ。でも、本来は営業が仕事ですから」
「不動産業は何年やってらっしゃるんですか」
「もう20年以上、かな。その前は友人と塾を経営してたんですよ」
「あら、そうなんですか。わたしも学生時代は塾でバイトしたことがあります。教えるのって難しいですね」
「子どももいろいろですからね。熱心になればなるほど難しくなります。でも何でも一つの道って難しいですよ。特に最近は、サービス業が多くなって、生身の人間を相手にするでしょう。コミュニケーションが苦手な人にとってはつらい時代ですよね」
「ほんとですね。その点、わたしなんか数字相手だから、少しは気楽かも」
私はこれを聞いて、ちょっと違うんじゃないかなと思った。もしかして謙遜している?
「いや、でもやっぱりその数字も人に差し出すわけですから、相当神経使うんじゃないですか」
理屈っぽいことを言ってしまった。ボトルから彼女のグラスにワインを継ぎ足す。あわてて彼女が今度はボトルを取ろうとした。それを手で制した。
「あ、いいです、いいです。独酌で……」
「そういえば、わたし、こないだ計算間違いしちゃって、冷や汗かきました。若い子が手伝ってくれて、深夜までかかって何とか修正しましたけど」
「そうですか。それはたいへんだったですね。おとがめなし?」
「ええ、さいわい」
「それはよかった」
店内はかなり混んでいた。店員が店の広さに比べて少ない。あっちこっち、走り回るようにして客に対応している。最近はどこでも感じるが、雇用者を減らして安い給料でこき使っているのだろう。デフレが続いている証拠だ。
彼女のほうに目を移すと、丸首のセーターの上の白い肌にぽっと赤みがさしていた。可愛い、と思った。いつも私をいら立たせている、いまの社会に対するいろいろな不満をいっとき忘れることができた。
彼女が言った。
「そうだ、覚書って相当たまってるんですか。わたし読んでみたいです」
「いやあ、思いついたことをまとまりもなくパソコンに打ち込んでるだけで、ただの書き散らしのようなものです。とてもお見せできるような代物じゃないですよ。まったく自分のため。ただ時々読み返して、現代社会のおかしな現象に対して、憤りをそのつど復活させたりしてるわけです。精神衛生上、あまりよくないですね。でも好奇心だけは旺盛で、理屈屋だからやめられないんです」
「わたしも、堤さんほどじゃないですけど、女には珍しく理屈屋だって、この頃気づきました。好奇心もけっこう旺盛なほうです」
「そう言えば、消費増税のからくりについて知りたがっていましたね」
「あ、そうそう、あれはどういうことなんでしょう」
「僕もこないだ知ったばかりで、友人の受け売りで、うまく説明できるかどうかわからないんですけど……」
「かまいません。聞きます」
ナイフとフォークを皿に置き、濃い眉の下のクリッとした目を見開いて、生徒のような真面目な顔で私を見つめた。また可愛いと思ってしまった。
「国の借金が1000兆円を超えて、このままでは国家財政が破綻するって報じられているでしょう? でも、あれは財務省が税金の収入だけで支出を賄おうと考えていて、国債をこれ以上増発させないようにしているからなんですよ」
「阿川首相じゃなくて、財務省がですか」
「そう、財務省の力はものすごいみたいですよ。阿川首相といえども抵抗できない。いわば国家権力内部の抗争ですね」
「でも経理の観点からすると、負債は増やさない方が健全ですよね」
さすが経理だけあって、そこを突いてきた。でもそれは、企業や家計と政府とを同一視しているからだ。みんなこのトリックに引っかかっている。わたしもこの前まで引っかかっていたのだ。
そこで、日本の国債は100%円建てで、政府は通貨発行権を持っているので、原則としていくら負債を増やしても、返済できること、また、国債を発行することで政府の支出が増えれば、それは政府が民間に仕事を発注するわけだから、その分だけ需要が発生して、経済活動がかえって活発になること、などをゆっくり説明した。
玲子さんは、初めわかったようなわからないような顔をしていたが、やがて、だんだん
呑み込んでくるふうだった。私のつたない説明を一つ一つ心の中でかみしめるように、軽いうなずきを繰り返していた。
「ハイ!」と彼女が手を挙げた。またまた可愛いと思ってしまった。私は笑いながら、講演者が質問を受けるように、「どうぞ!」と手を差し出した。
「あの、いま聞いてて、よくわかったとは言えないんですけど、でも、そんなに難しい話とも思えないんですね。それなのに、どうして政治家やマスコミって、反対のことばっかり言ってきたんですか」
「いい質問ですね」
私は、彼女の振舞いに便乗して、先生然とした風を装って、答えた。
「それは、要するに、その難しくないはずのことがわかってないんですよ。ちゃんとマクロ経済のことを勉強しないからです。みんな財務省の財政破綻論に騙されちゃってるんですよ。自分のお財布の中身から類推しちゃうんでしょうね。でも私たちは政府と違って通貨は発行できませんよね」
「政治家って、政治のプロなのに、そんなに頭が悪いんですか」
「そうとしか言えないですね。私たちだって、国家の経済がどうなっているかなんて、普段考えないでしょう。そのレベルと同じなんですよ。頭が悪いだけじゃなくて、国民の代表なのに、すごく怠慢」
私は、玲子さんのズバリとした言い方に痛快な感じを覚えた。その通りなのだ。
「それと、ほんとはわかってるくせに、財務省の御用学者を務めている経済学者がいます。いろんな理屈をつけて、消費増税はどうしても必要だってね。財務省は、繰り返し繰り返し学者やエコノミストに財政破綻危機を吹き込んで、彼らを篭絡してきたんですよ。私たちも、偉い学者さんが言うことだから正しいんだろう、と何となく思ってしまう。それをうまく利用して、国民に負担を押し付けるんです。実際、2014年に5%から8%に増税されましたよね。その結果は、消費が落ち込んで、民間の投資活動も不活発になって、いまだに悪影響を及ぼしてます」
「財務省は、国民を苦しめてやろうと思ってるわけじゃないでしょう」
「それは思ってませんよ。だけど、ほら、官僚って、一度、ケチケチ路線が正しいって信じ込むと、それを宗教みたいに固く守って、絶対変えようとしないじゃないですか。もちろん彼らは善意でやってるつもりなんです。でも『地獄への道は善意で敷き詰められている』って言葉もありますしね」
「そうなんですか。わたしたちどうすればいいんでしょうね」
「そこですよね、問題は。たとえ正しい認識を持ったからって、権力が間違った政策をやって居座ってたら、どう動かしようもないですもんね。他にも阿川政権になってから、国民を苦しめるような政策をどんどん進めてます。あれは一言で言うと、巨大な多国籍企業と株主の利益のためだけの政権ですね」
「野党には期待できないんですか」
「いまの野党には全然期待できませんね。彼らも財政破綻論を信じ込んでます。それに阿川民自党政権を倒すことだけに執着して、自分たちがどういう政権を作りたいのかっていうヴィジョンが何もないから、、与党や閣僚の失言とか、スキャンダルとか、枝葉末節なことばかりほじくり返しているでしょう」
「そうですね。国会中継って、テレビ番組の中で一番つまらないですね」
「ハハ……。ほんとに困ったことですね。さっきの話で言えば、私たちとしては、日本には財政問題なんてないんだっていう認識を少しでも広げていくしかないと思いますよ」
「だけど、わたしたち、ふだん会話してて、政治の話なんかできませんよね。下手なこと言うと人間関係壊すでしょう」
「その通りですね。それはやめた方がいいと私も思います。だから社会的発言力を持ってる人で、信頼できる人を探し出して、その人たちの発言をたとえばSNSでハンドルネーム使ってシェアするとかね。絶えずその人たちの言動を追跡するとか。それくらいしかできないですね」
「堤さんは、どんな人を信頼してるんですか」
「まずは、例の篠原っていう社会学者の友人ですね。でもあいつはあんまり社会的発言力はないな。彼から紹介された中山武志とか、三石貴之とか、内閣官房参与の藤川悟とかは、頑張ってますね」
「あ、その藤川さんて、聞いたことあります。よくテレビとかネットに出てませんか。関西弁ですごく雄弁な」
「ええ、でも彼らは、残念なことに、まだ圧倒的な少数派なんですよ。そうだ、それと、最近買った本で、国際ジャーナリストの鶴見未菜さんという人の『売られゆく日本』というのがあります。これは今の日本がどんなにグローバル資本に浸食されているかが具体的に説かれていてとても参考になりますよ。すぐ読めますから、よかったら読んでみてください」
「はい、読んでみます」
そういって彼女は、著者名と書名をノートした。
「こういう人たちが中心になって、多くの人がうまく結集するといいですね」
「いや、じつは僕もそれを願ってるんですけどね。失礼、ちょっとトイレへ」
ここらあたりで、政治話はもう限界だと感じた。これ以上やると、せっかくの場が白けてしまうだろう。それにしても、玲子さんは、よく聞いてくれたものだ。私は自分を変人として紹介したけれど、この人も少しばかり変人かもしれない。
しかし一方で私は思った。政治思想を仲立ちにして男と女が仲良くなるとしたら、それって、何となく邪道じゃないだろうか。
できればその部分はなるべく棚上げにしておいて、もっと純粋にエロスの次元で惹かれあうようになりたい。政治の話なんかしなくたって、そうなれるはずだし、この人となら、なれそうだ。そっちで頑張ろう。
トイレから戻って、好きな画家の話をした。酔いも手伝ってか、佐伯祐三はユトリロなんかよりずっといいと言ってしまった。彼女はうれしそうに微笑んだ。
加山又造という人は、西陣織の図案家の息子だそうだ。スマホで、彼の絵を見せてもらった。いかにもその血を引いていて、しかも現代風で華やか。玲子さんが活け花をたしなむのと関係がありそうに思えた。
それから旅行の話。青荷温泉というのは、前もってネットで調べておいたのだが、秘湯として有名らしい。数年前、親友と行ったのだという。夜はランプだけになり、テレビもないし、携帯も通じないという。彼女と一緒に行ってみたいとちょっとエッチな空想がよぎったが、もちろんそれは言わなかった。
映画の話。是吉作品について花が咲いた。偉そうに蘊蓄を傾けてしまった。
あっという間に二時間が過ぎ、帰り際にフェルメール展に誘ったら、快く応じてくれた。とてもうれしかった。
地下鉄のホームで別れる時、彼女の電車が発車してホームを去るまで、窓越しに手を振り合っていた。こんなことするの、何年ぶりだろう、と思った。初デートで、恋の実感が深まったのを確実に感じた。
一夜明けた。
さいわい今日も休日だ。昨日の楽しかった余韻が心の底のほうでずっと後を引いていた。しかし、そうそう乙女チックな気分に浸っているわけにもいかない。昨日、手に取って読みかけた『国富と戦争』に、初めから挑戦してみようと決めた。
だが、1時間ほど読んだものの、苦手な経済の本である。どうも気が散ってしまう。目は文字面を追いかけていながら、いつの間にか心は、昨日の玲子さんの可愛いイメージを思い浮かべてしまったりしていた。
これではいけないと思い、ぐっと抑えて、何とか読み進んでいった。すると、ここで説かれていることが大学で習った経済学とはまったく違うということが漠然とわかってきた。
もともとあまり関心を持って聴講していたわけではないが、あのころ大学で鳴り物入りで教えられていた経済学は、誰もが利益最大化という目標に向かって合理的にふるまう経済人であるという仮定の上に成り立っていたように思う。だから世界規模の自由市場の維持を至高のものと考える思想的立場だった。
著者の中山さんは、この仮定を認めていない。人間の経済行動の不確実性をまず前提にしている。その上で、戦争や制度や地勢などが、経済動向に大きな影響を与えると説いていた。しかも戦争のような世界史的な大事件は、平和になってからも、その「型」のようなものが残り続けるという。
これは、あのころアカデミズムから放逐されたケインズの考えを復活・継承するもののように思われた。たしかケインズもそうだったと思うが、中山さんは、モノやカネの動きにかかわる人間の経済合理的な行動だけに限定する「経済学」という学問の限界を見極め、それ以外の人間行動の要因を幅広く視野に入れようとしている。
大著なので、なかなか読み切れそうもないが、印象としては、こういうとらえ方のほうが大学で今も教えられている「経済学」なんかより、はるかに現実をとらえるのに適している感じがした。
午後遅くまで頑張って300ページくらいまでこぎつけた。19世紀後半に、自由貿易主義を採っていたイギリスが不況にあえぎ、保護主義を採っていた大陸ヨーロッパのほうが、自国の経済を繁栄させ、かえって貿易を拡大させたと書いてあった。これも新鮮な指摘だ。しかしここらが限界だった。
あきらめてネットサーフィンに切り替えたら、いつの間にか、「フェルメール展」のサイトに行っていた。今回は、これまでで最大点数で、10点、途中で1点入れ替えるという。それ以外にも、17世紀オランダの画家たちの宗教画や風景画や静物画が集められている。
フェルメールの作品は32点しか残っていなくて、ほとんどが上流家庭の室内を描いている。以前、7年くらい前だろうか、フェルメールを中心とした展覧会が静谷で開かれ、ひとりで行ったことがある。その時、「地理学者」という絵にとても感動した。
窓からの差し込む光と、机の手前に寄せられた絨毯の襞、地図や本や地球儀などに囲まれて青いガウンを着た壮年の学者が、右手にコンパスを持ち、左手で机の角をしっかり押さえている。
何よりも私はこの学者の姿勢と表情に、知へのあくなき情熱を見出して、できれば自分もこんなふうにありたいと思ったものだ。空しい願いではあったが。
「地理学者」は、今回は残念ながら来ていない。でも今度は、二人で「牛乳を注ぐ女」や「赤い帽子の女」などが見られるのだ。その時のことを考えただけで楽しくなる。
終わった後、時間が取れるだろうか。8時半に美術館を出るとして、彼女の都合を聞いて、もしOKなら、1時間くらいは大丈夫だろう。あまり強いてはいけない。近くで一緒に軽く一杯やりながら感想を話し合う――そんな埒もないことを空想して、心が早くも浮き立ってきた。
それはそうと、と、われに返った。そろそろ夕飯の時間だ。冷蔵庫を開けてみた。
ホッケの干物と豆腐で済ませることにした。豆腐にはネギのみじん切りとショウガのすりおろし、それに上等の鰹節をたっぷりかける。飯は冷凍しておいたのをチン。
日本酒の買い置きがあるので、それを、飯を食べ終わった後に冷で一杯。
そういえば。明日は、本部からの出向社員を初めて迎える日だ。先日、事前に本人から連絡があった。前園と名乗った。若い元気な声で、はきはきと予定日の調整について相談してきた。これならうまく運ぶかもしれない。
まずは岡田と一緒に薄田に行ってもらうよう手はずを整えておいた。街を歩いて雰囲気を感じ取り、事情をよく知る現地の不動産屋を訪ねて現況をつかむ。薄田地区での空き家状況や世帯構成を正確に把握するために、区役所での調査も必要になるだろう。役人がうまく話に応じてくれるかどうか。
なかなか実を上げにくいプロジェクトだ。二つ返事で引き受けてくれた岡田に、頭が下がる思いだった。
しかし、あまり取り越し苦労はしないようにしよう。前園君と岡田の報告を聞いてから、新たにチーム編成を考えてもいいかもしれない。
また感傷的な気分に浸りたくなった。パールマンのクライスラー名曲集をかけ、ベッドに寝っ転がって、目を瞑った。
「愛の喜び」にさしかかったところで、心が躍り、玲子さんとの昨日の楽しい会話がほうふつとしてきた。弾むようなハーモニーが、そのまま彼女と私の共感の時を表現してくれているように思った。
ところが「愛の悲しみ」に続くと、その単音に終始する沈んだメロディのシンプルな流れが、ひとりになった時のはかない気分を掻き立てる。
いまの自分の恋も、やがてこのようにはかなく終わるのかもしれない、いままでそうだったように。そう思うと、いつの間にか、反省的で思索的になっている自分を見出した。
これまで何度もこういう感覚に襲われてきた。それは、自分のとりあえずの身の上と直接関係のない「観念世界」、たとえば日本の危機について読んだり考えたり話題にしたりしている時と、日々の生活や仕事上の問題に意識を集中させて余裕をなくしている時、そして、ちょうどさっき玲子さんへの思いに耽ったり美にあこがれたりしていたように、ロマンティックな空想のなかに自分を自由に遊ばせている時、この三つの時が、私の中でせめぎ合い、三人の役者となって舞台にかわるがわる登場するのだ。
私の意識は、いつもこの三人の役者を相手にして流れている。若い頃からそうだった。そして、どの役者と一番親しくなったらよいのか、わからない。
前に、この感じを、観念と実存との矛盾の意識ととらえたけれど、実際は、もっと複雑で、そこに、現実に裏付けられた空想が侵入してくるのだ。
思えば、誰でもそんなふうに生きているのではないか。日常的現実と非日常的な空想とか、観念世界と実存とかいったように、二元論で考えただけでは、生にかかわる意識の全体をとらえそこなってしまうような気がする。
観念は日常的現実を通して現れるし、空想の中でリアルな感覚が生き生きと躍動したりする。また日常的現実にしても、いつも過去や未来のように、いまここにない世界と不可分にかかわっているので、容易に追憶や郷愁や夢や空想に結びついていく。
私は、この意識の多面性に翻弄されている。
いま玲子さんに恋をしている。できればそこに全神経を集中させたいと思っている。でも青春時代と違って、これまでの人生経験で否応なく培ってしまったけち臭い「知恵」や、日々の生活への配慮、残された命数への見通しなど、さまざまな夾雑物が、それを邪魔する。
それでも、愛しく思える人と出会えたという幸運を壊さないように、できるかぎりこの運命の女神の導きに忠実につきしたがって行こうと思った。
《11/15 20:23
半澤玲子様
昨日は楽しい一日を、ほんとにありがとうございました。
めったにないことに出会えたのだ、と本気で思っています。つい浮かれてしまって、ややこしい話を一方的にしてしまいました。でも、熱心に聞いていただいたので、私としてはとてもうれしかったです。
今日は、朝から、昨日紹介した中山武志の大著に挑戦したのですが、半澤さんのことが気にかかり、午後遅くまでかかって、半分ほどでダウンしてしまいました(笑)。
それから後は、フェルメールについて調べて、お約束した日のことをあれこれ想像していました。実は7年前にも一度、フェルメールとフランドル絵画展というのがあって、その時、「地理学者」という絵に深く感動した覚えがあります。今度は「地理学者」は来ていないようですが、その代わり、「牛乳を注ぐ女」がありますね!
何はともあれ、20日が待ち遠しいです。
今日は、お疲れではなかったですか。
どうぞ今夜は、ゆっくりお休みください。》
《11/15 20:51
堤 佑介さま
いまちょうどメールしようと思っていたところです。
こちらこそ、楽しくてためになるお話、ありがとうございました。
政治の話はむずかしかったですけど、さっき、一生懸命思い出して、メモを取っておきました。この次、また機会がありましたら、教えてください。
それと、是吉監督についてのお話がとても印象的でした。検索してみたら、もともとドキュメンタリーを撮っていたんですね。あの緻密なリアリティは、そこからきているのかもしれないと思いました。
「地理学者」の本物は、わたしは見損なってしまいましたが、堤さんがあれに感動されたというの、とてもわかるような気がします。いい絵ですね。
わたしも20日を、首を長くして待ちます。何よりも、お会いできるのがうれしい!
今日は、長年の上司が転勤になったので、新しい課長が赴任しました。鋭い目つきをしていて、怖そうです。慣れるまでは緊張の日が続くかもしれません。
それでは、堤さんも、ごゆっくりお休みくださいませ。 ♡》
