3分で解るNWA世界ヘビー級王座 | 丸顔のルチャリブレな与太話

丸顔のルチャリブレな与太話

LUCHA LIBRE(何でもあり)な与太話ブログです。
映画・B級グルメ・コミック・アニメ・TV番組・競馬etc.…思いつくままテキトーに
( ^-^)





てなわけで
今回の記事テーマは映画アイアンクローに登場した
NWA世界ヘビー級王座について
3分で(だいたい)解るお話
チャチャッと挙げて行きますね



・正式名称 NATIONAL WRESTLING ALLIANCE(米レスリング連盟)と仰々しい看板を掲げてますが、実態は各地でプロレス興行を手掛けるプロモーター達の親睦会

・「世界最高峰タイトル NWA」とは力道山がプロレスを日本へ持ち込んだ時に情報操作でマスコミに刷り込んだイメージ。それを長〜い間、団体(日プロ・全日プロ)とプロレスメディア(東スポ・ゴング・プロレス等)とファン(丸顔含む)が一緒になって祭り上げていたわけです

・昭和プロレス世代なら初代NWA世界ヘビー級王者フランク・ゴッチという記述を目にした事があるはず。これは第二次大戦後ルー・テーズを王者としてNWAを結成した時「権威づけ」のため後付けしたモノ。そもそもFゴッチの時代にNWAなんて存在してません。このテは「よくある話」虚実織り交ぜて楽しむのがプロレスの醍醐味です
(苦笑)

・広い広い北アメリカ大陸、NWA以外にもニューヨークと東海岸一帯をマーケットにするWWWF(現WWE)やミネソタ州と中西部一帯のAWAなど色んな団体(いずれも個人商店)が存在していました。その地域に住むファンは地元の団体を支持してるので、世界タイトルの権威がどうとか気にしてません。「第〇〇代王者」とか拘ってるのは日本のプロレスメディアだけですよ

・NWA加盟プロモーターにも力量差(売上げの差)が有り、それはNWA内での発言力&影響力に比例します

・NWA世界王者はメンバーのテリトリーを定期的に巡回する建前ですが、実際は有力プロモーターを中心に大きく偏っていました。スター選手のギャラは高いので仕方ありませんね

・主な有力プロモーターはミズーリ州、カンザス州、フロリダ州、ジョージア州、ノースカロライナ州、テキサス州あたり。俗に言う「NWA主流派」です(この言い回しも昭和プロレスならでは)

・NWAに加盟しても必ず王者を招聘できるワケではありません(猪木時代の新日は呼べませんでした)もし独占禁止法違反で訴訟を起こされればアウトなのに誰も訴えなかったのは「そんな事をすれば業界に居られなくなる」という何処かの芸能界みたいな裏事情

・NWAの総会は毎年夏にラスベガスで開催されていました。その理由も単純明快「歓楽街ラスベガスでなければメンバーが集まらないから」

・プロレスは純然たるエンタテイメントであり立派なショービジネス。NWA世界王者とは「最も客を呼べるレスラー」でなければいけません。どんなに強かろうが集客力の無いレスラーはベルトを巻かせてもらえません

・NWA世界王者に就くには有力プロモーター達の支持も不可欠。地元だけに留まらず他のテリトリーへ遠征し、そこで一定評価を得る必要があります。ラフファイト&クロー攻撃で悪役イメージの強いフリッツ・フォン・エリックがNWA世界王者に推されなかったのも当然

・有力プロモーターのテリトリー内で「王者の了解」を得れば短期間の王座移動劇も可能。もちろんベルトを王者に戻すのが条件です。G馬場は日本国内で3度王座を獲得してますが全て1週間で王座転落(さすがに3度目は見え見えで皆さん醒めてた雰囲気)デビッド亡き後に地元ダラスでフレアーから王座奪取したケリーも約2週間後に日本でフレアーに王座を明け渡しました。これは「フレアーからデビッドへの手向け」でしょうね

・1985年からのWWF(現WWE)の全米進出によりNWA加盟プロモーター達は次々と興行戦争に敗れ店じまい。最後はノースカロライナ州のJクロケットJrのみが孤軍奮闘するも遂にギブアップ、NWAは終焉を迎えました。その後 CNNで有名なテッド・ターナーがWCWに名称変更して後を引き継ぎますが結局は敗北してます