こんにちは、久田和弘です(^^)

前回までテーマとして扱った「瓜を破る」という作品は、大人の様々な「性」と人間模様を複雑に描き出している点が大きな魅力です。思春期をとっくに過ぎて、社会的には「いい大人」と言われてもおかしくはない年齢になったとしても、人間はいつまで経っても「性」に振り回されっぱなしで、そことどう折り合いをつけていくかも人生の重要なテーマのひとつなのかな……と、この作品をとおして考えたりしたのでした……。

そこでふと、最近は以前よりは大分「性」にまつわる話題をオープンにしやすくなったとはいえ、ほんとうの意味で「多様性」が実現したかといえば、まだまだ遠い道のりだなぁという思いが頭をよぎりました。

……たしかに、男女の恋愛・結婚・出産・そして老後にまつわる話題は出しやすくなりました。けれど、それこそ「瓜を破る」にも登場するような、ノンセクシャルや一般的な幸福論についていけない人々の存在自体は「隠されている」という現状が明るみにならない以上、真正面から「オープンになった」とは言えないような気がしてしまうのです。

ただ、どうしたって周囲の同調圧力に乗っかって「幸せなフリ」をしていなければ、社会で居場所を失ってしまう緊張感がつねにあるのと同時に、そうやって自分を裏切りつづけていく度に罪悪感が積み重なっていくのも耐えられない……。

今回は、そんな心境のキャラクターらが登場する「セクシー田中さん」について考えていきます。