こんにちは、久田和弘です(^^)
前回紹介した「ゆびさきと恋々」という作品の魅力のひとつに、様々な立場の人物が登場する、というのがあります。皆、「恋に恋する」だけではなく、それぞれの立場で、葛藤し、喜び、賢明に「なにか」を探し求めている。世界は複雑に絡み合って、価値観はひとつではない残酷な真実と美しさを教えてくれる。
そんな世界だからこそ、「誰か」と隣り合わせで向き合っていきたいと願うのは当然です。だってひとりでこれらを乗り越えるだなんて、とてもじゃないけどキツすぎる……。
この作品は「恋」を通して近づいたり離れたり、寄り添おとする人たちの人間模様を描いています。が、ザックリ俯瞰で見ると、別に恋愛を基準としなくとも人って繋がれるんだよなと再認識させてくれるから、そういう意味でも良い作品だなぁと思えるのです。
たぶん一番大事なのって、「したいと思えるかどうか」ではないかと。目の前の人と心底恋愛したいかどうか―――これが「しなくてはならない」という義務感になってしまったら、周囲や環境の恋愛基準モードに振り回されてしまってして、主体的に物事と向き合えていない状態なのかもしれません。
まぁ、それもこれも自分の人生なので、結局決めるのは「ひとり」ですしかないのですが……。
でも、周囲の価値観に振り回されて自分を見失ってしまうという状況は、この社会ではけっこうアルアルですよね。そことどう向き合うか……今回は「破瓜を破る」という作品から考えていきたいと思います。
