こんにちは、久田和弘です!

まり子がいる環境は最初から最悪でした。誰も「まり子はまだ子供である」という事実と向き合って世界から守ってくれようとはしない。それどころか、大人たちはなにかあれば自分を正当化するためにまり子を責め、加害する…。

だからまり子も、最終的には自分自身に原因があると思い込むことで大人や世界と折り合いをつけ、「理不尽な暴力を受けても仕方がない」と無理やり納得させてきたのでしょう。

 

 

『マイ・ブロークン・マリコ』はシスターフッド?

まり子から「シイちゃん」と呼ばれていたともよは、劣悪な環境と大人たちから本気で彼女を守り、救い出そうとしていました。
このように、女性同士の友情や強い絆など、お互いの関係性にこだわらず連携し非情な状況と戦う様から、最近SNSで頻繁に見かける「シスターフッド」が思い起こされます。シスターフッドとは、1960~70年代にかけ女性解放運動に用いられた用語で、階級や人種に関係なく「男性優位な社会を変えたい」というひとつの目的のために集った女性たちの「連携」を意味しているそうです。
そう考えると、まり子を救い出したかったともよとまり子の関係性はシスターフッドと言えなくもない…ではこれはフェミニズム系の作品なのか……
いや、違う。だってともよとまり子は決して連携していない。それにまり子は、一度だってともよに助けを求めていないのだ。確かに、まり子というキャラクターは庇護欲をくすぐられる印象があるが、そこにともよは同情したわけでもなく、ただ最初はなんとなく、本当になんとなく「一緒にいたかった」だけなのだろう。