萩原朔太郎を「掬いとった」その先8
こんにちは、久田和弘です。
敗戦という受け入れ難い現実を否定するため永遠に戦時中の日常をくり返す□街…
そのなかで生きる無名の女性らは、「女」という型にはめられた生き物として綺麗に着飾り、男性詩人らに賛美の言葉をあびせる…
詩人にとって、作品のイメージ源・欲のはけ口としての機能しか持たない女性らは、だから個人であることが認められず、そのため名前がありません。
朔くんの選択
物語の序盤から、作品の善し悪しなどの判断をすべて白さん基準で決めている朔くん。一話でも、せっかくひねり出した作品を発表した直後白さんの表情を盗み見て「やっぱり今の無し!」と慌てて撤回する様子から、相手の反応を恐れる反面相当な期待を寄せていることが窺えます。
しかしどう見ても、白さんと朔くんの人間性や作品の方向性が噛み合っているとは到底思えません。それでもなぜ、朔くんはあれほど強烈に白さんに師弟を超えた感情を抱いているのか…それが『月に吠えらんねえ』のテーマでもあるのでしょう。
狂人が天才になるまで
作中、白さんが朔くんをハッキリ褒めた描写で使用されている詩の多くは『月に吠える』に掲載されているという指摘に対し、原作者の清家雪子氏は次のように返しています。
それは最初の頃の手紙のやり取りで、朔太郎が、詩のデビューにあたって自分の詩の何が良くて何が悪いかっていう取捨選択を、「白秋が本に載せるか載せないか」でわかっていたというか。(白秋が)ボツにするかしないかで。本に載っている=良い詩なんだな、と。
あまり、逐一(白秋が朔太郎の詩を)添削とかはしていなかったみたいなんですけれども。そうやって朔太郎自身が(自分の詩の良
し悪しを)掴んでいったという、その指標のハードルとして白秋がいた、ということを表している……という感じですね。
精神衰弱だった青年が天才になるまでの過程に「白さん≠北原白秋」という人間が必要不可欠だった…その途中でこぼれ落ちた「朔くん≠萩原朔太郎」の欠片を掬い取ったものが、『月に吠えらんねえ』には凝縮されているのでしょう。
引用元
