『ダブル』から考える表現の原水

こんにちは、久田和弘です(^^)

前回は『呪術廻戦』からジャンルの定義のついて考えてみましたが、Pixivとか小説家になろうとか、とにかく個人の作品を自由に発表する場が増えたことが影響してか、多種多様な作品が間をあけずオギャーっと産まれるので、こっちは混乱するやら嬉しいやら……

 

そのなかでもメチャクチャ気になるのが「異世界転生もの」ですね。

見る側・読む側にとっては、「世界観が確立している=理解しやすい」のでさえあれば、たとえストーリーが複雑に展開しようとも、物語の軸がぶれない分安心してたのしめます。

…が、例えば、転生先がゲームのなかなのか・或いは異世界に飛ばされたのか、もう最初の時点で設定がブレブレで、しかもそこを「異世界だからなんでもあり!!」と誤魔化されてしまうと、こっちはついけいけなくなるという……。

 

「ジャンル分けにこだわる作家は少ない」

と、前回の記事の締めくくりに記載しましたが、では、彼らは何を拠りどころに「表現」に従事しているのでしょう?

この疑問を解くため、今回は『ダブル』というマンガをご紹介していきます!!

 

まずザックリ概要をお話すると、『ダブル』は演劇に関わるふたりの若者(男)がメインです。

彼らは同じ劇団に所属し、同じように演じることと向き合っているかといえば微妙にズレていて、物語が進むにつれズレがどんどん大きく成長していく、そんなかんじです。