久田和弘、『BEASTARS』について語る
どうも皆さん、いかがお過ごしですか?久田は最近クシャミが止まらなくて、最早風邪なのか花粉症なのか、どちらか判断がつかず困っています…。
さて、前回『ヴィンランド・サガ』という作品を取り上げましたが、こちら近々アニメ化が決定しているとか!しかもNHK…最近進撃の巨人放送したり、段々とアニメ枠がにぎやかになっている様子。
そんなかんじで注目を集めるこの作品、テーマが「愛」であることは散々述べたものの、恐らく幸村先生的には別の思惑もあるのでは、という考えがふと頭をよぎりまして。
それは「差別」です。
差別は、例えば人種差別や最近なにかと話題にあがるイジメ問題のように、ワイドショーで日常的に語られるものであって、テレビ画面の「こちら側」にいる人間にとってはあまり関係のないワード…という認識が強いと思います。
差別は、『ヴィンランド・サガ』というフィクションの題材になるように、どこか日常生活とはかけ離れた「特別な言葉」。
―――では、「差別」を日常の延長線上に置き換えてみたら、どうなると思いますか?つまり、「日常的に差別し・されることが”当たり前”の世界線」で自分たちが生きていたとしたら、認識は変わるでしょうか?
この問への答えを、今回は「別種族同士の共存」を中心に描く『BEASTARS』という作品から考えてみますので、次回まで少々お待ち下さい![]()
