久田和弘、『ヴィンランド・サガ』について語る5
原作者である幸村誠氏は、マンガ家という側面以外に、「父親」「夫」でもある人で、カバー裏に書かれている家族や作品に対する思いから、「きっと”父”であることをとても大切にしているんだろうなぁ」という考えが頭に浮かびます。
と同時に、読みながら久田はいつも思うのです。「あぁこの人、心底”暴力”が嫌いなんだなぁ」と。
物語の奥底には、いつも「どうやったら暴力の連鎖は断ち切れるのか?」という作者自身の問いかけが投げられているような気がします。多分、トルフィンの父親はこの問いかけを体現した人物なのでしょう。
そして恐らくアシェラッド自身も、本来「そうあるべきキャラクター」だったのではないかと。彼自身、そもそもヴァイキングに対しこだわりは無く、それ以上に故郷であるウェールズへの帰属意識と安全と復興を第一に考えながら行動しています。
でも、本音では「自分が従うべき”正義の心”を持つ真の王」を探し求めた結果、計算が狂いだし、それが「トルフィンの運命」を決めてしまうという…。
要するに、一見計算高く冷酷でいざとなれば仲間さえも切り捨てられるアシェラッドでさえも、心のどこかで「本当の正義」を追いつづける矛盾を抱えているからこそ、結局最後までビョルンやトルフィンを切り捨てられなかったのでしょう。
…そう考えると、トルフィンにとって憎い敵のはずのアシェラッドから、「なんやかんやで信頼されていた」(byビョルン)のかもしれないですよね…。
