久田和弘、『ヴィンランド・サガ』について語る3
この作品の前半~中期は「トルフィンが商人・探検者になるまでの経緯」が描かれています。物語の前半…少年期の彼は、ヴァイキングとしてアシェラッド率いる兵団に身を置いていました。
ヴァイキングといえば、前回記載した通り「略奪」を生業としていた民族です。北欧の者らにとってヴァイキングがくり返す暴力は日常の一部であり、なかでも男性らは「戦場で死ぬこと=誉」とし、父親が喜んで息子を戦に送り出す、といった光景が当たり前だった様子。
トルフィンも例外ではなく、その証拠に作中攻撃的な幼少期が描かれています。しかし本質的に略奪を好むかといえばそうではなく、毎晩「レイフのおっちゃん」が話して聞かせてくれる冒険談に目をキラキラ輝かせる少年でした。
けれど、トルフィンが描く「外の世界への憧れ」は、父親の死という残酷な形で叶えられてしまうのです。
父の死の要因であるアシェラッドを「殺す」ことのみ生きる糧とし、彼が率いる兵団…つまりヴァイキングの一員となったトルフィンは、剥き出しの怒りと憎しみを消せぬまま「暴力の世界」のなかで気付くと17歳になっていました。
「本当の戦士に剣はいらない」
そう言い残し死んでいった父親の形見のナイフを使い、アシェラッドに言われるがまま略奪の渦に身を置く彼は怒りで本質が見えず、だから完全に「大切なこと」から目を逸らしたまま、誰かを傷つけ、殺すだけの毎日だったのでしょう。
