久田和弘と『ジョジョの奇妙な冒険』~黄金の風、愛しき人間賛歌~(終)

世間的には「悪」に等しいギャングに生き方を教わったジョルノは自身の行動に一切迷いが見られない一方、ブチャラティは所属する組織のあり方に「正義」が見い出せずにいる―――このように、登場人物のなかに潜む「矛盾」が人間臭さをより魅力的に演出してくれています。

例えば、ブチャラティの仲間のミスタ・フーゴ・アバッキオ・ナランチャ…特にフーゴとアバッキオは作中悩みを抱え、結局最後まで答えを出せないまま戦わざるを得ないという、少年マンガ誌においてかなり珍しいキャラクターだと思います。
フーゴの場合、「普段は紳士的なのにキレやすい」ためいざとなると理性的な判断ができず、その結果あとで思いっきり後悔する性格で、逆にいえばこの「後悔っぷり」が彼の魅力でもある。
一方、アバッキオは「考えるなんてムダなことはせずとにかくブチャラティの言いなりになっていればOK」で、ブチャラティが人を殺せと言えば殺すものの、本当は悪を滅ぼす正義の存在に憧れを抱いている…。

よくよく考えれば、彼らが抱える痛みや苦しみは特別なものではなく、誰でもどこかで同じような経験をしていますよね。悩んで・逡巡し・結局答えが出ず・結果にすごく後悔する…このくり返し。
もしかすると荒木先生は、人間が当たり前に抱える矛盾を『黄金の風』に落とし込むことによって、全力で「それでいいよ、大丈夫」と伝えようとしてくれたのかもしれません。

正義と悪のはざまで悩み・傷つき、それでも「悲しい運命」に立ち向かうジョルノやブチャラティは、読者の人生そのものを肯定する「人間賛歌」といえるのではないでしょうか?