久田和弘、「尾崎かおり」について語る8
『金色のひつじ』では『神様がうそをつく』と同じく「主人公と大人との微妙な距離感」が丹念に描かれています。もちろん、どちらも大人と子供の関係性がメインの物語ではないものの、成長途中にある主人公らの日常に必ず大人が関わっており、そういった場面が随所に見られる度、作者独自の「丁寧さ」を垣間見た気分にさせてくれるのです。
たとえば、継の両親について。物語開始当初、ペーパードライバーの母が運転する車で故郷に舞い戻った彼女は、持ち前の明るさで周囲に溶け込もうと奮闘するものの、なかなか上手くはいきません。「上手くいかない」要因には、母や姉との関係性も微妙に絡んでいると思わせる描写がいくつかあるのですが、そのひとつが姉の子供の面倒を継が見ている点です。作品内にはふたりの幼い子供が登場しますが、彼らをお風呂に入れ、送り迎えをするのはどうやら継の役目のようです。
上記した記事をそのまま読むかぎり、どことなくシリアス展開なかんじがしますね(笑)
もちろんそういう訳ではなく、女3人+幼児ふたりで狭いアパート暮らしをする現状を継は「ある程度」受け入れ、子供の面倒も役目として素直に行っているようです。
しかし、じっさいに継が納得できている部分は「ある程度」、知り合いの小料理屋で働き始めた母が酔っ払って帰宅し、ウカレ気分で「再婚」をくちにした際、描かれた彼女の複雑な表情が、本音を語っているように思いました。
