久田和弘、『だんだら』について語る5
「人を斬ったら死ぬ、殺られる前に殺る、そんなの当たり前だ」
敵意を剥き出しにする人間に対し恐怖心を抱くようになった沖田に土方はこう言葉にするも、その「当たり前」が彼にはまったく通用せず、思いは一歩通行のまま。
「人を斬るたび逃げ出されたら困るんだよ!」
そんな土方の制止を振り切り血だらけの着物で逃げ出す沖田。彼が向かった先には、偶然にもひとりの女性の姿がありました。
彼女は沖田が怪我をしているのかと勘違いし介抱しようとするも、怯える様子から尋常ではない様子を察し、彼の話に耳を傾けます。
夢か現か分からない「幕末」という時代で、人の命を奪いながら、「生きたい」という自分の小さな願いさえも叶わない…そう心情を吐露する沖田に対し、目の前の女性は「ある決定的なひと言」を口にします。
涙ながらに死への恐怖と生への渇望を訴える自分を、土方のように否定せず受け止めようとする女性に対し、沖田はこの時代ではじめて「信じられるもの」、そして「愛するもの」を見出し…。
この作品を読んで久田和弘なりに考えたのですが、人間の生存本能を最も分かりやすくあらわす言葉は、「生きたい」以上に「死にたくない」だと思うのです。
「死にたくないから生きる」
そう言えば、生きる意味や人間としての価値の模索なんて、すべて詮無いことになってしまうのではないかと。
「死ぬことは根性ではない」
死を恐怖する沖田を根性なしと言い捨てる土方に女性が言い放った言葉が、『だんだら』の本質をすべて物語っているといえるでしょう。
