久田和弘、『あげくの果てのカノン』について語る
かのんも、そして「先輩」の現奥さんである初穂さんにも共通している点は、大人しく、好きな男性から言い寄られただけで過剰に反応してしまう、そういう「自意識過剰」なところでしょうか。
田舎から上京し、見た目も頭脳もすべて完璧な「先輩」と付き合いはじめ、大好きな彼に釣り合う女性になろうと必死に努力した初穂。
一方、学生時代から極端に自分に自信がなく、「先輩」に出会ったことで生きることに希望を見出し、振られた後でも相手を想いつづけ、とうとう生き甲斐と化してしまったかのん。
どちらも経緯は違えど、人生の中人にはいつも「先輩」がいて、そして言い換えるなら、「”先輩”に人生を狂わされてしまった」とも考えられるのではないでしょうか?
当の「先輩」自身がなにを考えているのか、どこに本音があるのか、明確なことは作中ほとんど描かれていません。
しかしどうやら、自分自身の「変化」に対し、本人が一番動揺していることは本当のようです。初穂からかのんへの心移りを自分でもコントロール出来ず、しかもそれがゼリーとの戦闘の後遺症ではなく、本心からの恋情であることを真摯に伝える「先輩」の苦悩を、ふたりの女性はどう受け止めていくのか?
そして、「わたしのかみさま」に恋をしてしまい、天罰がくだったかのんが「ひとりの人間」としてどう答えを出すのか―――そういった部分が久田和弘的にたのしみな作品だと思います!
