久田和弘、『あげくの果てのカノン』について語る
唐突ですが、「期待」と「希望」という言葉があるじゃないですか。
期待は、「誰かが自分になにかしてくれるのをあてにして待つこと」、希望は「未来に対してポジティブな見通しをたてる」ことを意味していて、どちらも毎日を頑張って生きている現代人にはとても大切なキーワードだと思います。
・・・けれど最近は、他人に期待されることに「重い」と文句を言ったり、希望を語ろうとすると「そんなの夢でしかないよ」と一蹴されたり、いろいろと難しい世の中だなと、日々痛感している久田和弘ですが(涙)
けれど、「期待」「希望」という2つの言葉を多用してもあまり周囲から指摘されない要素がひとつだけあるようにも思います。「恋愛」です。
恋愛は、はたから見れば異常だったり、多少気持ち悪かったり、意固地だったとしても、最終的にはすべて「美談」で終わらせてしまうこともできるから、本当に不思議ですね。
そこで気になるのが「片思い」について。相手を一方的に恋する気持ちは、パット見だけだと一途だと称賛されるけれど、一方通行の思いは、はたしてどこまでいったら「執着」と呼ばれるようになるのでしょう?
『あげくの果てのカノン』は、長年の片思いをとうとう「生き甲斐」にしていまい、片思いの相手の男性が自分にとって「神様」になってしまった、そんなひとりの女の子の物語です。次回、概要をお話していきます。
