こんにちは、久田和弘です。今日も『僕のジョバンニ』の魅力について語ります。(ちなみにこのテーマは今回で最後です!)

鉄雄が奏でるチェロの音色を聴いてからというもの、それまでのそっけない態度がまるで嘘のように、閉ざしていた心をいっきに開いた郁未だが、しかしその様子は、周囲から見ると多少異様なものだった。
郁未が心を開いたのは、鉄雄に対してだけで、その他の人間・・・たとえば鉄雄の兄とはコミュニケーションを一切とらず、話し掛けられても無視。(鉄雄の母とは少し会話はできるようだが)
大人たちは郁未の極端な態度に特になにも言わず、「あの悲惨な事故から少しでも回復するなら喜ばしいことじゃないか」と、温かく見守るつもりでいるものの、鉄雄の兄だけはひとり、郁未の弟に対する接し方が「愛情」というより、むしろ「執着心」のほうが強いのではないかと懸念しているようで・・・。

それにしても、原作者の穂積は「”対比”の物語」をつくらせると本当に上手いなぁと、『さよならソルシエ』を読んでそう思いました。
『さよならソルシエ』では、フィンセント・ファン・ゴッホと、その弟テオドルスとの複雑な関係性を切り取っています。幼い頃から人を魅了する才能を持ち合わせながら、兄に画家になることを勧め、大人になると上流階級専門のギャラリーの店長となり兄を経済的に支える「本当は画家になりたかった」テオと、そんな才能あふれる弟を心底羨みながらも、金持ち相手に肖像画ばかりを描くことが「美術の真髄」と謳われていた時代に、「普通の人たちの懸命な生き様を描きたい」という信念に基づき生きるフィンセント―――。
彼らのように、鉄雄と郁未の才能が複雑に絡み合うことで、今後物語は加速していくのでしょうか・・・とにもかくにも、たのしみです!

以上、お相手は久田和弘でした。