です。こんにちは、久田和弘

。今日も先日に引きつづき『昭和元禄落語心中』について語っていきますので、最後までおつき合いいただければ幸いです

 

 

前回更新した記事の最後にて「この物語のテーマは“心中”だ」と述べましたが、この「心中」の捉え方についてはキャラクターそれぞれ全く異なり、それが作品に彩りを添えてくれています。

まずは主人公である八雲氏の「心中」について。1巻では八雲と与太郎の出会いが描かれ、そして2巻からは八雲の過去と助六、そして小夏の母親との因縁が登場するのですが、そこで軽く八雲の出生について触れられています。彼が先代の八雲の前座をつとめ、菊比古と名乗るより以前、もともとは芸者の家の生まれでした。ところが、落語とは対象的に、芸者は女社会なので、男に生まれてしまった者にはなから居場所はありません。それでもなんとか喰らいついてきたものの、足の怪我を理由に、とうとう両親から「厄介払い」の決断が下され、預けられた先が「八雲」だったのです。

居場所を失った菊比古は、最後の砦である落語に必死にしがみついて生きる糧にしようともがきますが、同日に入門した助六相手にまったく歯が立ちません。助六は自他共に認める天才でした。落語が好きで、落語を愛していて、だから落語をする。それ以上でもそれ以下でもない。「愛」に理由なんて必要ない。そんなまっすぐな助六の落語に、聴衆は惹きつけられていきました。

今日はこのあたりで失礼します。