中学受験メモ

東京では選択肢がとにかくたくさんあり、受験割合も高いため、我が家でもよく話題になります。周りに中学受験経験中、経験済みの保護者さんたちがたくさんいて、まあ、本当に、皆さん、それぞれに「大変!」。

 

かなーーり引きぎみの私たち夫婦、我が子への中学受験にはほとんど関心はありませんが、お友だちママさんたちから聞くリアルな話が想像以上で、びっくり・ひっくり返りそうになる内容もあり、前のめり以上の興味深さ、です。

 

 

とにかく親が躍起になって「ヒートアップ」。

塾のカラー、先生の声掛け、雰囲気によっても、子どもに多大な影響がある様子。当然、子ども本人のキャラクターとの相性問題。難関校を目指して猛烈に勉強をする(させられる)ものの、いい意味でのんびり屋さんもいれば、全身全霊でそのプレッシャーを受ける子もいますからね,,,

 

あるお母さんの話では、高学年になり土日の塾は「8-10時間」らしく、「2つのお弁当を持って」行くと。おおよそ小学3年生から塾に通い、4年生では週3、それがどんどん加速...10歳あたりから「勉強一筋」なのかと想像すると、ココロが落ち着きません。

 

勉強(受験)だけじゃないといいのだけど〜〜、塾一本、生活時間のほとんどが勉強になっている子どもは、世界が狭すぎて...、、、危うい...汗

 

そのお母さんの話では、難関校に入学後の先生の話では、「子どもたちはよく勉強はできます。言ったことはきちんとします。でも、言わないと動きません。」つまりーーー、【指示待ち人間】とのこと!びっくり 言われるがままにこなしてきた数年間だったのですから、、、中学受験の子どもにはよくあることらしく、それを動けるように教育、指導しますね、という話みたいですが。

 

 

息子たちとも話すのは、短い短い子ども時代に何をするか、何を学ぶべきか、これからの時代、どういう心身・どんなチカラが求められるか、これから続く「長い大人時代」の礎になるものを、、父さんと母さんはこういう風に思うけれど?と、やり取りを。いろいろな経験の方の意見も参考にしながら。正解はないけれど、核はあります。

 

 

 

私の中で大切にしていること:↓

 

"The sense of wonder" (レイチェル・カーソン)のなかの一文:

 私たちにとって子ども時代というのは一体どんな意味をもっていたのか。

 子どものときのある種の体験が、それはとりたてて何でもないようような日常の一瞬であったとしても、その人に決定的な影響を与え、その後、その人をずっと支え続けていく、そんな出来事があるように思える。

 

石井桃子さんのことばから:

 知ることは、感じることの半分も重要ではない。

 子どもたちよ。子ども時代をしっかりとたのしんでください。おとなになってから、老人になってから、あなたを支えてくれるのは子ども時代の「あなた」です。

 

 

 

受験合格がゴールではなくて、やらされているのではなくて、楽しく切磋琢磨学べて、その経験をバネに、わくわくする未来を描けるなら、いいなー。

 

苦手科目を克服した経験が自信となり、点数がアップしたことが自信となり、先々の違う場面でその自信が生きてくるなら、いいなー。

 

他人との比較競争ではなく、自分自身との競争。自分の成長を周りの大人も認め互いに喜び合えるなら、いいなー。

 

他者を蹴落として一番になるのではなく、互いの良さを掛け合わせて新しいモノが生まれると、いいなー。

 

 

ゴール(って何と言う問題が一番にあるとして)に向かうプロセスが、いちいち大事だ、ヒートアップせずに、やっぱり、cool head warm heartに。ね。

 

 

参考:2017.12.11「静かな深い学び」



オムツを替える?と言えば自分でオムツを取りに行き、おしっこが出る?と聞けばトイレに行きフタを開け、座ろうと。1歳もうすぐ5ヶ月。

周りをよく見てやってみる、the学び、真似び。