灰色の街から

灰色の街から

九ヶ月間が曇り空。この街を愛して住んで、十五年を超えた。
ほぼ酔っ払ってる時間につぶやきを書いてます。

数年不倫関係にあった人と
元夫が今年の四月に一緒になりました。

わたしとは離婚して二年。
結婚生活は28年。

行動のおかしい元夫との
壊れた関係を修復しようとたくさんの努力をした。
カウンセラーにも通った・・・
ただし、私の思うような形でなく。

子育てに夢中だった。(下の子がやっと独り立ち)
貧乏だった。(穴の開いた靴を新調できないほどに)
必死で生きてきた。(義理両親や経済的な事)


嘘ばかりの元夫は
それについては謝罪している。


日頃は毎日の仕事も忙しいし
一人でも、何でもやってきた自信が
今も何でも一人でやりこなせる自信をさらに深めてくれている。


でも・・・・

子供たちとの関係を思う時’
色々許せないこともある。


結局
彼にとっては首のすげ替えをしただけで(女が変わっただけ)
同じ家に住み
同じ家具を使い
同じ子供たち義両親との関係。

出て行かざる負えなかった身としてはとても面白くない。

心から「地獄へ落ちろ」といいたくなる・・・
 

 

 

 

もういいでしょう。

何度も自分に言っている。

 

一番の復讐は、空気のように無視することなんだ。

(それとも、私の幸せを見せつける事?)

心の中で、

お前ら、地獄に落ちろと思っている。

 

彼の寝室に飾られた彼女との写真。

もう、私は大丈夫と思っていた。でも…苦しくなった。

今も、子供たちとの関係含め

私たちは、交流がある。

いたって友好的な。(今も、かつての義家族と交流がある)

サンクスギビングも、子供たちが帰ってきたから、一緒に過ごした。(義家族も)

 

今回、

もう勘弁して、と思いつつ

子供たちの意向をくんだ。つまり

クリスマスイブは、義家族含め一緒に過ごした。

もう・・・・来年からはわからない。

 

ただ

 

何度も何度も思うこと。

 

私は強い。そんなに弱いわけでもバカでもない。

苦しみにも耐えた。

裏切りにも耐えた。

確かにうつ病になり、薬も飲んだ。

 

でも

仕事を得て

それをこなしている。

自分の家で

自分だけの時間と空間で。

すべての生活費を稼ぎ、・・・・生きていけている!

 

自分の強さが今は

 

とても自慢だ。

 

 

 

まだ、私や父、そして生まれ育った家に住む家族だった頃。

 

私は、父が苦手だった。

嫌悪というより、

怖い人。

怒らせてはいけない人。

愛情いっぱいの母。

その母が気を使う人。

 

昭和の時代の父親が一番。

ごはんも、父が優先。

お風呂も一番風呂は父。

父は仕事に熱心で、

経済的には十分に甘えさせてくれた。

それでも、

何でも父が一番であった。(テレビの優先権も)

 

今思うのは、彼らのそれぞれの人生。

 

幸せだった・・・・・のだろうか。

 

 

そんな父が

今年の(2022年)年賀状を送ってくれた。

 

彼の近頃の趣味である、椿の絵をかいてくれて。

 

「幸福は健康から」

「96歳の春を迎えたよ xxxちゃんがんばれ」

と。

 

今の父を私は心底、尊敬している。

新しいことに挑戦をし続け、

重い言葉をサラッとこぼす。

 

「あと何年かしか時間がないから

楽しいことをしていこう

でも自分だけで楽しむのは申し訳ないから

みんなに、これを共有しよう

教えられるものは誰にでも教えて

みんなで幸せになろう」