今日は、午前中で授業が終わり、午後は同じ地域の先生たちの研修会だった。教科によっては公開授業を行うところもあるけれど、英語ではここ数年、講演会とか、グループワークを行っている。
今年度は、大学の先生のお話を1時間お聞きし、そのあとはグループでテーマトークをした。前半のお話では、中学校の現場を長く経験され、教頭職まで勤めながら、早期退職して大学院へ行ったという、以前からお世話になっている先生のお話をお聞きした。がっつりお話をお聞きするのは実に十数年ぶりになるが、変わらず面白いお話が聞けて嬉しかった。自分にはない視点をいただけることに、とても感謝です。
とってもありがたいお話ではあったのですが、今、僕の心が書きたいと望んでいるのは、後半の部のことなので、今日はそっちを書きます。
今日は、ある先生の提案で、「地域社会における学校の役割とは」という大テーマが掲げられ、グループで話すことになった。で、僕らのグループでは、「私たちは教師として日々どんなことを大切に過ごしているか、どんなことに貢献したいと願って仕事をしているか」そんなことをテーマに話をした。
これまで教師をやってきて、苦しい場面が幾度もあった。ここで自分の教職人生を振り返ってみる。
初任校は特別支援学校。特支の免許があるわけでもない、知識がないから学ぶことしかない、今思うと若さだけでやり過ごしていた。若い先輩先生たちにいろいろなことを教えてもらった。そして、一人の時間も充実していた。学んで、学んで、学びまくった。でも、それは子どものためというよりも、自分のためだったように思う。学校では、知的障害のある子どもと、日々何度もぶつかり合い、保護者にもしこたま怒られ、「なぜ?一生懸命やっているのに」という、苦しい日々だった。しかし、「自分が望んでいた場所じゃない」そんな最低な言い訳が、自分の心のどこかでいつも渦巻いていた。それでも、いろいろな先生たちの力を借りて何とか生徒を卒業させ、念願の中学校への異動が決まる。特別支援には恩があるし、今も自分の原点だと思っているが、当時の自分は、「中学校で英語を教える」ことが目標であり夢であったから、そのような考え方になってしまっていた。3年間は、「初めての社会人で、よくわからないことを自分なりには必死に学び、実践し、それなりの成果を得た」くらいのつもりになっていたと思う。
そして、期待を胸に異動した中学校であったが…とんでもない。授業が、部活動が、学級経営が、生徒指導が…すべてうまくいかず、八方塞がりだった2校目。初めての中学校で意気込んでいたが、自分の理想を子どもに押し付け、次第にうまくいかなくなっていった。心を傷つけてしまった生徒も何人もいただろう。自分が悪いことはわかっていた。自分の力不足であることは、火を見るよりも明らかだった。それでも、素直にそれを認め、謝ることの難しさが自分の心を頑なに閉ざしていた。もちろん、謝ってしまえば楽な場面、どこからどう見ても、どう考えても僕に非がある場面では、きちんと謝罪をしたが…そういう風に、自分を必死に守っていた自分がいたことを、今の自分なら分かる。ただただ、未熟だった。「助けてください」と言うことは許されないような、そんな気持ちでいつも小さくなって過ごしていた。
休みの日には、サークルに誘ってもらい、研修に出かけた。100人の英語教師の前で模擬授業をやって斬られる、そんな武者修行の旅に出たりして、自分ができる限りのことはやった。セミナーにも参加した。それでも、自分のすべてを変えることはできなかったんじゃないかな。そんなことを思う。
苦しかった3年を耐え抜いて、異動を機に「次こそは」と誓い、すべてを取り戻すつもりで、すべてを懸けて学級経営に力を注いだ3校目。若さと、何か自分の中に燃える決意が、周りの先生たちにも伝わったのだろう、すごく僕を寛大に見てもらって、認めてもらって、育ててもらったと思っている。若気の至りでいろいろな失敗や、今では考えられないようなバカもたくさんやったけど、温かい目で見守ってもらい、赦してもらった、そんな4年間。
研修の機会も充実していた。授業、部活動、学級経営、すべてにおいて今の僕につながる基礎が創り上げられた時期だ。若い先生たちの中心的存在となり、学校だけではなく近隣の地区内でも、自分の存在感を少しずつ示していったと思う。
それでも、問題は必ず起こる。部活指導で失敗し、一部の生徒と保護者との関係が崩れてしまった。そこからは、女子生徒とうまくいかなくなり、自分の指示に従わない一部の生徒が部活を支配するような時期もあった。その時期は、自分も自分の非は認めつつ、心のどこかではまだ、「自分が悪い部分はもう改めたのに…なぜ何も変わらないんだ」と思っていたのかもしれない。
しかし、この時期にも、自分が学べる機会はできるだけ生かそうと、部活動では特に多くの学校と合同練習をさせてもらったり、研修にも積極的に出かけた。そうやって一つずつ乗り越えていったように思う。
そして、この時期に、自分の教師人生を大きく変えた人物との出会いがあった。その先生の姿、考え方、在り方から、必死に学んだ。今でも大切なメンターであり、目標である人との出会い。これがターニングポイントだった。
4校目、自分の教師人生にとって最大の挑戦となる、国立大学附属学校への異動。2校目で味わった雪辱を、3校目で必死に取り戻し、自分の授業や教師としての在り方が、少しずつ決まりかけたタイミングでの附属学校への異動で、積み上げたものがすべてぶっ壊れた。自分の実力とははるかにかけ離れた先輩教師たちのものすごい授業。そしてその研究に触れ、自分の積み上げてきた自信や慢心は、すべて崩れ去った。とても太刀打ちできないすごさを感じ、それまでの自分がいかに小さな存在だったかを思い知らされた。井の中の蛙とはまさに、自分のことだと思った。
毎日、自分自身にまったく余裕も自信もない中で、やらねばならぬことがどんどん積みあがっていく。それをこなすだけで精一杯。逃げ出したいと思った。
それでも、自分はそれまでと同じように耐えて、耐え抜いた。苦しくて仕方なかった。人生で初めて、悔しくて眠れない夜を経験した。それでも、下を向いた自分を、ともに支えてくれた仲間、生徒、保護者、家族がいたから、また前を向いて歩くことができた。
去年、成人した教え子たちと初めて酒の席を共にした。「教え子が立派に活躍するということは、こんなに嬉しく、誇らしいものなのか」と実感した。
そして今の5校目。しばらく、苦しい世界を生きてきたことで、また別の苦しさも味わいつつ、それなりに充実し、楽しい日々を送っていた。しかし、ここ3年は、生徒指導に苦しめられる日々だ。そんな中で、これだけ教師として研修も積み、苦しい思いにも耐えて頑張ってきたのに、「学校教育に限界を感じ」ている今日この頃なのだ。
ここまで大きな回り道(もはや大脱線)をしたが、、、今日!今日の話に戻ろう!そこで僕は、教師としての今の自分を見つめる機会をいただいた。自分は、生徒と同じものを見聞きする、体験を共有する、一緒にいる、そういう経験が、生徒たちの人生にも影響を与えることができるのではないかと考えていた。そう、「考えていた」ことを、今日語り合ったからこそ、自分で発見できたのだ。教師として生きることは、生徒の生き方に影響を与え続けることができる。それであれば、自分とかかわった生徒を、幸せにしてあげられたほうがよい。自分は生徒に寄り添うことで、生徒の生き方を応援する存在でありたい。そんなことを思っている。
グループの別の先生たちからも、あふれ出るような素敵なエピソードをたくさん聞き、結局思ったことは、僕ら教師は、生徒が「変わっていく」のを見られるのが幸せなんだろうな、と思った。そして、そこには自分もいる。一緒にある。感動を分かち合っている。景色を、風の音を、温度を、共有している。それが、教師の幸せなんじゃないかって。
結局何が言いたいかよく分からなくなってしまった。今日は、たくさん語ってしまった。グループでもブログでも。
こんなまとまらない記事を、最後まで読んでくれてありがとう。まとまらないから、まとめないよ(笑)。