僕は、西宮市の小学校に通っていた。

母が、「T君のお兄さんは、神戸大、H君のお兄さんは、東大よ」というのを聞いて、

「大変なんだろうな、、、僕に入れるのか?

とりあえず、中学で頑張って、県西(県立西宮高)へ」と思うぐらいだった。

その後、何があったのか知らないけど、今は、この学区のトップの公立進学校は、

市立西宮高校になっている。直近で、旧帝+神戸大で、101人の合格者、、、

神戸大の前身神戸高商は、祖父の母校で、東大は、父の母校ということで、

子供心にも、特別な存在だった。

 

父の転勤で、名古屋の中学に通うことになった。

中2の時、父が、「瑞陵に行けよ、、、名前が格好いいじゃないか」と言った。

学校群第11群の試験会場が、瑞陵だった。家からは、徒歩圏だった。

ここも、学校群制度以前は、旧帝に100人ぐらい合格者を出していたと思う。

日曜日、父が職場の後輩たちと麻雀の卓を囲んだ時、

大きな目をぎょろりと僕に合わせた人がいた。

名古屋大出の新人だと父が話していた。

「名古屋大学、いいじゃん」とぼくは思った。

 

父の転勤がさらに続き、東京の高校に転校した。

今度は、東大理一に滑り込めないか思うようになった。

難しければ、地方の旧帝大でも仕方がない、、、

東工大は、「大学というより、専門学校みたい」という理由で除外。

早慶は、我が家では、"2nd class citizen"みたいな空気感だったので無理。

 

ということで、神戸大、名古屋大、東大に憧れてきたけど、

結局、阪大に進学、、、

 

僕に限らず、皆、それぞれ、こだわりがあって、

大学受験が思い出になっていると思う。

 

でも、社会人生活を振り返って、こだわることもなかったと思う。

どこを出ていても、同じような社会人生活になっていた、、、

 

どこを出ようと、僕は、僕、、、

周りを見ても、同じ大学出身でも、人それぞれ、違う、、、

同じ東大出身でも、人それぞれ、違う、、、

同じ早稲田出身でも、人それぞれ、違う、、

 

東大出だから、どうのこうの、

早稲田出だから、どうのこうの決めつける人達、

ちゃんと、自分の眼で、見ろといいたい、、、

ちゃんと、自分の頭で、考えろといいたい、、、