歌舞音曲(かぶおんぎょく)好きなワタシも、いよいよ歳とって、

舞台を観たことのある役者や、映画テレビドラマなどで

涙を流しながら視聴したお気に入り役者達が

どんどん、あちらの世界に行ってしまうのには

本当に言いようのない寂しさを感じる。

そのうち、自分もあっちへ行くんだけど、

あっちではどんなふうになっているんだか。

先に行った俳優達の芝居や歌を鑑賞するわけにはいかないだろう。

今日の「徹子の部屋」、、急遽予定変更で、

亡くなった仲代達矢の再放送。

何本か、ビデオを流した最後に

弟の仲代圭吾と出演した回、

仲代達矢のセリフと振りで、シャンソン歌手の仲代圭吾が「ミスター・ボージャングル」を

日本語で歌った。

その内容は、当時(87歳だったか?)の仲代達矢そのものを

歌っているかのようだった。

正確には、「飲み代のために、一曲歌わせてくれ」「自分の名前も酔っ払って忘れた」という

酔いどれスターとは、似ても似つかぬ真面目な役者の仲代達矢だから

全然違うかもしれない。

しかし芝居のうまさから、


手振りだけでも、目付きだけでも、表情だけでも、

完全に「ミスター・ボージャングル」になりきっていた。

弟の仲代圭吾のシャンソンは初めて聴いたが、

とても艶のある良い声で、横でお兄さんの朗読と手振りが(感情たっぷりで)演じられるため、

過剰に歌い上げず、かと言って冷たい感じはまったくなく、

真面目に、、まるで、お兄さんの「劇」のナレーションの様に感じる歌い方で、

私は、今まで(生きてきて)聴いた、どの男性シャンソン歌手より

好ましく感じた。

昔のシャンソン歌手(男性)は、

みんな似た様に「優男(ヤサオトコ)」風で、

綺麗に正しく歌っていたが、私は、そこに人生は見えなかった。

昔は育ちの良いお坊ちゃまが、声楽を習った上で、

石井好子さんのとこのシャンソンなんとか協会で、マジメに歌い上げていた。

ワタシ個人の意見だから、「それは違う!」という反論もあるのを知りながら

あえて言えば、フランスの酒場で

一曲歌って、帽子にお金を恵んでもらっていた「シャンソン」の味には

ほど遠かった。(フランス行ったことないけどアセアセ

エディットピアフなどは、母親が大きなお腹をして

酒場で歌い、道端で産気づいて生まれたという

貧しい生い立ちだ。

もちろん、子供のピアフは、小さい時から

生きるために歌った。

酒場を廻って歌った。

芦野宏や高英男、、こんな古い日本人のシャンソン歌手が思い浮かぶが、

仲代圭吾は、父のいない母子家庭で

兄(達矢)とともに、喘息に苦しむ母親のために

幼い時から、色々な商売をした!と

明るく言う。

「音大行かなきゃ歌手になんかなれない時代だった」と、

兄達矢は、弟が歌手になったことについて言う。

「苦労しなきゃ歌えない」と言っているわけではありませぬ、、が、、


歌を聴いて、歌っている人の人柄、育ち方、考え方、

生きる力などを感じてしまう。


日頃から、


一曲の歌をうたい始めから、エンディングの最後の音までで、


芝居の一場面を思い起こせるように歌えたらいいなあ、、と思って


歌ってきた。


出来ているかどうかはわからないけど。


だから、ひとの歌を聴く時も、


そんなふうに、場面が目の前に浮かぶようにうたう人の歌は感動する。


悲しさとか、寂しさとか、悔しさとかの涙とは全然違う


なんの涙かと聞かれれば「感動の涙」としか言えない涙が出る。


この仲代兄弟、


シャンソンをうたう弟の歌は、兄の全身全霊の演技と同じに


まったく「芝居」を観るような気持ちで聴くことができる。


「弟は、明るくて商売がうまい。だけど私は、


黙ってむっつりしているから、商売にはむかない」と


仲代達矢が言い、弟は笑う。


2人で、身体の弱い母親を助けるために「商売」をしたのだろう。


2人の演じる「徹子の部屋」の画面に


「感動」の涙。


シャンソンについては、また違う話題もあるので


後日、何かの時に、、。


下矢印仲代達矢は声だけ、弟仲代圭吾のMr.ボージャングル、ちょっと語りの分長いけど


お楽しみください。


数日前の散歩風景下矢印