100歳の誕生日を3月に迎えた母、

通常は、足が弱りいつ転ぶかわからない状態なので、ホームで車椅子生活ではあるものの

「歩くため」のリハビリもやってもらっているらしいし、(驚き‼️)

本人が絶望したり、生きる気力をなくしたりもせず、

会いに行けば、近況を話す様子は

とても100年も生きた老人には見えない。

「顔がシワやシミだらけで、いやんなっちゃう!」なんて

「今、ソレ気にするか?」というようなことを口走る。

耳も普通に聞こえるし、ボケた様子もない。

でも、そんなにこの先長いはずはないので、

その日が来るまで、今のまま

不平や不満を言わず、見たことや体験していることを「みんなに話してやろう」という気を失わず

穏やかに、みんな(スタッフさん達)に愛されて過ごしてもらいたいと

心から思う。

娘と言ったって、もうこっちも高齢者、

介護する親を持つ人共通の

「母より先に死ねない!」と思いながらも、

ヘタすると、こっちがアブナイ!と、ウカウカできない状況だ。

まあ、アタシも足が少し歩きすぎると痛いくらいで、

今のところ元気なのが有難いが、、。

と言っても、会いに行くのは

あらかじめの予約が必要で、家からは少し遠いし、

向こうの駅からの道路事情が、

坂道多し、足を引き摺りながら歩く自信がない。

妹や息子達を頼ることになるので、

なかなか面会予約も入れられない。

会えはしなくても、少しは寂しさが紛れるかと思い

この数年、絵ハガキなどにちょっと励ましの言葉を添えて出している。

絵ハガキもだんだん在庫が底をつき、4月の桜から

自分でヘタな絵を描いて、プリンターにかけて

絵ハガキを作成して出している。

向こうは絵も習字も達者に腕を鳴らした人なので、

高齢者になった娘が、初めて描いた絵手紙なんぞ、

「あら、まだまだねえー!」なんてなものだろが、

慰めに描いているつもりの自分が、

本当は、自分自身の励ましになっているのかもしれない。

5月はカーネーション、6月はアジサイを描いて送ったが

今日は7月分として

鉢植え(友人が持ち込んでくれた)の「サンパラソル」を描いた。

母が使っていた絵の具や絵筆を、妹が「使えば?」と寄越したので、

勿体無いから描き始めたような次第。

でも、描きながら

あー、、自分で揃えた画材じゃないから思うような色がない、

もうちょっと、良い絵の具あればなぁー、、などと、

弘法の足元にも及ばない、弘法大師とは何のゆかりもないので、多いに「筆を選ぶ」。

赤がさ、こういう色じゃないんだよねー、

あ、それ以前の問題か爆笑えー滝汗