歳をとって、母としてももう子供や孫の役に立つことはなくなった。

それどころか、若い人たちになるべく厄介かけないように

邪魔にならないような母で居なくてはならない。

あー、、もっと若いうちに何かで大儲けでもして

たんまり貯金でもあれば、

みーんなにばらまくのになぁ!

ま、現実は、「元気」でさえいれば

今のところ、迷惑をかけずにいられそうだ。

「母の日」というワードも、

子や孫は、それぞれの家庭での「母」を労う日だし、

まあ、わたしは幸いなことに、

この歳になっても母と呼べる人がこの世にいる。

施設にいるし、何よりも(オシャレなので)着るものを贈るのが本人は一番喜ぶのだが、

なにせ、100才。

おでかけするわけでもないし、毎日施設の中にいて、

自宅のタンスには売るほど着るものがあるらしいから

とりあえずハガキだけ出そうと思った。

70才過ぎてから、ずっとやりたかったらしい日本画を習った母は

それなりに作品を描いていた。

たくさんあったのだが、姉(母にとっては長女)が亡くなった時に

預けてあった母の力作は、なにかに紛れてほとんど失くなってしまった。

もう100才近くになって、絵はやめたから、、と、

絵の具や筆などの道具をもらった。

私も絵を描くのは嫌いじゃないけど、

ちゃんとやったことはなかった。

でもま、シロートの絵手紙くらいなら、、と思い

4月は、桜の絵葉書を描いて母に送った。

きっと、「まだまだねー!」と思っているだろう。

そして、100才の母の日なのに、行ってあげられなかったので、

カーネーションの絵手紙を描いた。

下手だけど。






弘法大師は筆を選ばなかったそうだが、


私は下手な上に、母の使いかけの半端な絵の具と道具、、


ま、仕方ないね。


そういえば、昔、、


赤いカーネーションはお母さんのいる人、


お母さんいない人は、白いカーネーション、、と言って


造花の(安全ピンついたやつ)カーネーション、学校で配られた。


私が小学生の頃だから、大昔の話だけど。


今はどうなのかは知らない。


お母さんいない人、、死別に限らず


離婚も増えてるしね。


事情は複雑だし、それぞれあるよね。


それにしても昔は、「母のいない子」に、


なんという無神経な、配慮にかけたことを


大人たちがやっていたのだろう。


白いカーネーションの子は寂しかっただろうな。


とりあえず、70半ばになっても「赤いカーネーション」のワタシは


100才で、一生懸命に生きている母に


大感謝をしなければいけない。


「絵、、イマイチね!」と言われても。笑い泣き


↓これは母の作品。