「裸一貫」という言葉がある。


「裸一貫」で、立身出世した人がたくさんいる。


世襲政治家や、親の金で偉ぶっている人もたくさんいる。


これは「裸一貫」とは無縁だ。


世襲で親を継いだからと言って、偉ぶらないで、


驕らずに生きている人も、、あまり知らないが、、いることはいるだろう。


私は相撲(を観るの)が好きで、たびたびブログにも書いているので、


良い時だけでなく、不祥事についても書かなくては公平ではない(って、なんに対しての正義感だ?笑)


まず、元横綱「白鵬」の宮城野部屋で起きた暴力事件。


当事者の力士は元より(っていうか、実質的にはクビ)、


知っていて知らないふりをしていた親方が


格下げになり、部屋も預かり処分になった。



「裸一貫」について書こう。


力士は「裸」で勝負するから、、というわけで言っているのではない。


白鵬は、モンゴルから日本に出てきて、細い体で相撲の世界に入った。


みんな同じようなものだが(日本人の大学相撲出身者は別として)


相撲部屋に入ることが前提で日本の高校へ行って、


いつもこれだけはホントに感心するのだが、


短い期間に、日本語と日本のしきたり(特に相撲のしきたり)を覚え、


最初のうちは、そんなに細くて相撲、大丈夫?という感じだった。


なぜ、そんなことを覚えているかと言えば、


TVで、相撲部屋に入った白鵬を追い続けた「ドキュメンタリー番組」を当時から観ていたからだ。


大相撲の土俵に立てるようになってからも、


だいぶ長いあいだ、初日に、白星はつかなかった。


いつも初日には負けた。


私には、息子が3人いる(娘は一人)が、


そのドキュメンタリーは、同じ年頃の息子達を思うと、


15才くらいで、


外国からたった1人で日本に来て、言葉もわからないのに


相撲部屋に入って、


どんどん強くなって身体も立派になったけど、


大相撲の初日の取り組みには、さぞかし緊張したり


ドキドキしたりしたのだろう、、と、


つい親の気持ちで、観たものだった。


(このドキュメンタリー番組の関係者がこの度の不祥事を隠す一因にかかわったような、、)


その後、それこそまさに裸一貫で、横綱にまで出世して、


しかも長い間、勝ち続けて


日本の大相撲のレジェンドに輝いた。


しかし、引退する前の頃の取り組みは


目を覆いたくなるほど、横綱のプライドも見栄も捨てて、


格下力士を張り手や、変化で


動揺させて勝ったりする場面が目についた。


あの、ヒョロヒョロした色白の身体だけでなく、


「あ、また初日負けた!」と、見る方の涙が出てしまいそうな相撲を


それでも真摯にとっていた白鵬も、


「横綱、横綱!」とチヤホヤされたり、


お金もたっぷりもらえたことで、変わってしまったのか、、と、


少し悲しかった。


それでも的確な解説などで、またTVで声を聞いたり顔を見たりできる昨今、


大横綱のレジェンド姿が、あの頃のヒョロヒョロの


初日に負けるメンタルは葬られて、


良かったなあと思っていた。


ところが、この不祥事ニュース。


ジャッジメントは厳しい。


もうラグビーだろうが相撲だろうが、、スポーツ界だけでなく


世の中が、昔のような「パワハラ」を許さない。


それを逆手にとった週刊誌報道も、それはそれで問題だとは思うが、


今まで「泣き寝入り」していた人が


もう泣き寝入りはしなくていいよという時代になったのだ。


あのモンゴルから来たヒョロヒョロの白鵬が、


のしあがって、おしもおされもせぬ大横綱になるには


ずいぶん辛い思いもしただろうが、


出世したあとも、あの頃の「初日には必ず負けていた自分」を忘れないでいてもらいたかった。


驕り、、と言っては、言い過ぎかもしれないが、


親方になった時こそ、ヒョロヒョロだった自分を思い出すべきだった。


「手のつけられないわがまま」だった『北青鵬』を


黙って見ているべきじゃなかった。


相撲だけでなく、音楽でも、芝居でも


「驕り」が出てくるのは、観ていれば(聴いていれば)すぐわかる。


誰かに支えられて生きている、、それを忘れれば「驕り」が出る。


驕りになるような物は、この歳になっても何もない自分ではあるが、気をつけて生きようと思う。


我が家のマンションのすぐ脇の人工の小川。


白鷺が来て、近寄っても逃げない。


怖いから近寄りたくないし、逃げてほしいんだけど。