昨日からの引き続きになります。


3月に100歳になる母の介護施設、


コロナやインフルエンザ、ノロウイルスなどで


次々と施設内に感染者が出ていて、


「面会」を予約するも、「面会禁止」の連絡が来ていた。


ここで、やっと、施設内の感染が落ち着いたらしく


「解禁」となり、妹と連れ立って、


実に5ヶ月ぶりで母に会えた。


当の母は、昨年8月頃に「コロナ」にかかり、


救急車で入院後、隔離病棟を経て


1ヶ月近い入院生活の末、またもや不死鳥の甦りを見せた。


一時は、真っ白になった両肺のレントゲン写真を前に、


姉妹で「もうここまでか」と覚悟をした。


しかし、せっかくここまで生きたのに、


最期をコロナで終わらせたくはなかった。


それも仕方ないことなのだけど。


大正生まれの力強さは、そんな状態であっても見事に打ち克った。


「病院にいても、特に治療はないし、リハビリだけだから


施設を変えて、病院併設のところはどうか?」と聞かれ、


よくよく聞いてみれば、それまで(コロナ発症まで)入所していた施設が、


規模も小さく、待遇も素人っぽいのに加え、


料金はだいぶ高かったようで、


ケアマネジャーさんとの連携の中、今の施設に移ったのが去年の秋だった。







それまでの施設も、誰とでも仲良くできるワザを持つ母は


とくに男性職員に優しくしてもらうと嬉しくて、


お世話をしてくれるのが「いくら仕事でも申し訳ない」などと言い


歳の割には手がかからないし、頭も耳もしっかりしているので、


みんなに良くしてもらったようだった。


ただ、今度のところは、本格的だし、規模も大きい。


きちんと介護士への教育も行き届いている。


そのうえ、若干今までのところより安い。


こんな歳まで生きて世話になるとは思わなかったから


父が残してくれてあったお金で支払ってはいるが、


もし「それ」がなかったら、


もう我々だって介護を受けるような歳なのに、


親の分も払っていかなくてはならないところだった。


母の様子は、今度のところは栄養管理もリハビリもきちんとしてくれているので、


少し痩せたが(太めだったから正常になった)


少しもクヨクヨしていないし、愚痴もこぼさないし、


相変わらず、施設内で職員さんや周りの人達と仲良くやっている様子を


面白く話す。


開口一番に何を言うかといえば


まず「来月お誕生日が来るから該当する人は、


みんなの前で、挨拶をしてください、、と言われた」そうで、


「その時に、はなしをするのは構わないんだけど、


こんなにシワクチャになっちゃって、キタナイ顔になっちゃったから


なんか、こう、、すこしでも、塗るものと眉を描くのと、薄く口紅くらい、、」と言う。


妹「・・・・」


私「あー、、お化粧したいのね?」


すると


「うん」


「でも、ゴテゴテ塗りたいわけじゃないの、ちょっと薄く、シミやシワが目立たないように、、」と。



はい、100歳です!


でもいつもオシャレにしていたい人で、


ワタシなどにも「ちゃんと綺麗にしておきなさい」と、


さんざん言った人なので、


いくつになっても、ノーメイクでなく、ちょっとだけでもカバーして


よそゆきの顔をしたいんだなあ、、と思った。


ま、それはそれで「えらい」かな?と、、。


面会室の広いテーブルを挟んで、普通の声でお互いに話すのに


聞き直すこともなく、全て聞き取れて「反応」も早い。


妹が「こないだ、係の人から電話が来て


聖マリアンナの新人看護婦さんが、勉強のために、お母さんに「つく」ようになるという話だった」


と言うと、


母「あら、そんなことまで電話が行ったの?


そう聖マリアンナから若い看護婦さんが来て、五日間研修して帰ったわ!」


「他にも歳をとった人がいるから、そちらへもどうそ」と言ってあげたら


「ヤマモトさん(母の名)を選んで、研修の対象にして学びに来たの」と言われたという。


妹が、「そうよね、なかなか100歳でここまでコミュニケーションできる人はいないから、


研修に来た若い看護師さんは、ここへ行きなさいと言われて来たのね」と。


どうやら、本人も若い人に来てもらって嬉しかったようだが、


研修の若い人も、とても喜んで帰ったらしい。


「そうね、あちらはこれから看護師さんになるのに、


100歳の話のわかる人の近くへ来て、5日間といえども、一生の宝物を手にして帰ったんじゃない?」と私。


もう昔の人なら人生を2度繰り返すくらいの長い時間生きていて


忍び寄る死の陰も感じないはずはないだろうに、


毎日機嫌良く、周りの人に感謝して


みんなと仲良く日常を送っている母、、。


もう、何があっても仕方ないねと、妹達とは覚悟しているものの


これからの短い残りの人生、このままにこやかに、人に優しく、面白い話を発見したら「みんなに話してあげよう」と言う気持ちなのか、今まで通りに、話が面白い。


私達に会う時は、必ず一つや二つの面白い話を披露する。


声色を似せたり、手振りや身振り付きで、、。



ともかく「話をしている時間は楽しい」、、。


そういう人間であるべきだし、我々も、それは見習わなければならない。


「あと一つ、話すことがあったんだけど、思い出さない、、なんだっけなあ、、」と言う母と


時間が来たので「また来るからね、100歳、頑張ってよ!」と言って帰ってきた。


「うん」と頷いていた。


あいにく、雨模様だったので、みえなかったが

晴れれば富士山が綺麗だそうだ。、


夕焼けも、マンション群の夜景も美しい高台にある。


きっと桜が咲けば、その風景に彩りをつけてくれるだろう。


幸せな母の終の住処になりそうだ。