私の実家では、
母をはじめ、姉妹4人が「今日見た夢」の話なんかを
することがよくあった。
「夢」だからバカバカしい。
聞いてあげるんだけど、途中から(いくら夢だって、、)なんて思いながら、
いいかげんに相槌を打つことも多かった。
しかし、ダントツで
母の夢の話が面白かった。
途中途中で、「夢だからね!」と挟みながら
、、(わかってるよ、最初から夢の話を聞いてるんだよ)なんて、思いながら、、
あり得ない話なんだけど、話がうまいせいか、
聞いているうちにひきこまれることが、よくあった。
そんな実家で結婚するまで過ごし、
いや、嫁いでからも、姉妹が寄り集まれば
近況報告や世間話のあいだに、誰か1人くらい
「こないだみた夢なんだけど、、」なんて、話をするのだった。
さて、自分の家庭ではどうなのか、、と言えば
やっぱり子供達と、「夢の話」はよくやった。
ホープじゃないよ、ドリームだよ!笑
4人の子供達が、まるであの頃の実家での私達姉妹のように
「聞いて、聞いて!ゆうべみた夢なんだけど、、」と、
かわるがわる話すのには、あの頃を思い出して笑えた。
夢の話自体は、笑うものばかりではなかったが、
やっぱり「夢だからね、夢だからね!」と言いながら
現実には、あり得ない話を繰り広げた。
最近は、
「眠れない!」とひとに言うのはイヤなので、(さんざん年寄りが眠れないとこぼすのを聞いてきたので)
さっさと医者に処方してもらって
もう長いこと「眠剤」を飲んで無理やり(笑)眠っている。
そのせいか、夢はほとんどみない。
みても忘れてしまうのかもしれない。
しかし、今朝は夢をみて目覚めた。
目覚めたあとも、もう一度みたい夢だった。
あ、、今、気付いたけど、
ここで(ブログで)「聞いて、聞いて!今朝みた夢なんだけど、、」って
話し出してるね!すいません、夢だからね!あ、わかってるよね?
、、なぜか、すごく幸せな気分になる夢だった。
確かに男の人と一緒にいるんだけど、
顔は最後まで映らなかった(って、テレビじゃないんだから・笑)
でも、隣にいるの。
それで、私はとても幸せな気分になった。
何か、長いテーブルの前に座って飲食をしようとしてたんだけど、
私は、「あー、この人といると幸せだわー」って思っているの。
最近沼っている「ジュングク」でも「大谷」でも「朝乃山」でも「琴ノ若」でもないのよ!(夢だからね)
顔は映らないけど、今までの長い人生で
出会った誰かでもない。
夢の中では「知らない人」ではないんだけど、
よく考えたら、現実の世界での人間関係で
こんなに安心した付き合いをしたことはない。
いくら夢の世界と言っても、あの「安心感」は、
人生で味わったことがないわけで。
はたからは、そう見えるかどうかわからないんだけど、
私は、「気を遣う」。
自分で言うのもおかしいけど、すごく気を遣いすぎて、
いつも肩凝りして、頭痛までする。
夫や家族でも同じだ。
誰なら気を遣わないのか、、それは、ちょっと見当たらない。
気を遣うけど、「気を遣っているところを見せたくない」「見せないようにしよう」、、と、
気を遣う。
今朝の夢の、顔の見えない「誰か」には、
一切気を遣わない自分がいた。
すごく、心から安らかだった。
起きてから、もしかしたらこの顔の見えない誰かが
「あっち」へ行こう!と誘ったら(夢では声も聞こえなかったが)
行ってしまっただろうと思った。
それは、もしかしたら
本当に「あっちの世界」なのかもしれない、、と思った。
それでも、あんなに「安心しきって」あっちの世界に行けるなら
あっちの世界に行くのは怖くないのかも、、と、
なんだか、変な元気が出た。
あー、、夢だから、夢だからね!
感想は、現実に自分が感じたのだけど、
あの安心感、、今日は一日、幸せな気分でした。
普段が、心配事あるわけじゃないし
気を遣うと言っても、自分なりに、、ということですから。
見る夢から、心理テストみたいなのがあるのは知っているけど、
特に、現状不満があるわけではない。
ただ、夢の「誰か」、せめて顔が見たかった。
できれば、イケメンでひとつ、、。
ジョングクほどじゃなくてもいいが。笑
日曜日の昼の散歩↓。
ランチは、外で。