先日TVの映画チャンネルで、黒澤明の「生きる」を

改めて観た。


もう何度も何度も観ているのに、忘れている部分もあるし、、と思って。


実は黒澤映画は、若い頃にはひとつも良いと思わなかった。


フォークソングを歌っていた少女の頃から


息子さんは、身近な存在だし、


普通の「おしゃれを気取ったオジサン」が作る映画くらいにしか思わなかった。


ちょっと映画を観てみても、なんでこんなに騒がれるんだろ、


暗い画面の印象しかないなと思っていた。


日本人独特の、「誰かが」『良いよ!』といえば


みんなが揃って「黒澤、良いよ!」と言うヤツだと思っていた。


子育てが一段落した頃、、それはテレビの画面ではあったが、


「赤ひげ」が流れたので、


昔、あまり仲の良い夫婦とは言えなかった父と母が、


たまに、夫婦2人で映画を観に行った、、ことを思い出した。


「赤ひげ」「椿三十郎」なんかを観てきた、、と聞いたのを思い出したのだった。


どれどれ、、と、じっくり観たら


すごく感動した。(もう私は50近い歳になっていた)


なるほど、、その頃では「世界の黒澤」と言われるようになっていたが


それは間違いではないと確信した。


そして、続いて「椿三十郎」、「荒野の用心棒」、、


そんな感じで、ほとんど全作を


当時ビデオだったが、借りて来て観たのが始めだ。


この歳になるまで、時々思い出しては観ていたが、


観る時の「年齢」によって、


それまで観ていた感想に、上書きされる新たな感慨があった。


人生を歩みながら、映画や小説は、


多分、経験や知識などが(もし加算されるとすれば)

年齢なりに増えて、


胸に響く場面が変わるのかもしれない。


で、「生きる」、、


私は今から50年くらい前に、俳優の志村喬さんと


板橋の日大病院ですれ違ったことがある。


もうその頃は、「生きる」が公開になってから20年以上は経っていたはずだから(「生きる」は1952年公開)


あの映画の役より更に歳をとっていらしたはずだが、


印象として「綺麗なおじさま」だった。


白髪ではあったが、顔色はピンク色で身なりもきちんとされていた。


病院受付付近だったが、あるいは、どこか悪くて、


ピンクの顔色は、必ずしも健康であったかはわからない。


「生きる」を以前に観た時は、


なんだか、年寄りが「命の炎を」最期の瞬間に燃え上がらせたような


結果的には、観るほうは「ただ切ない」だけの映画、、みたいに思っていた。


その後、何度も観たし、観る時は


「あー、あの年寄りの映画ね」くらいに思っていた。


しかし、先日、じっくり観たら、


いやー、年寄りの映画じゃないわー!と、


そんなことを感じた自分にもびっくりした。


ハイ、あたし自身が年取ったから、その感想なんだろう?っておっしゃるのね!


違うの、


いっぱい言いたいことはあるんだけど、


紙面の都合(笑)があるから、


ポイントだけ書くことにしよう。


あの映画は前述のように1952年の映画。


戦争が終わったのが1945年だから、戦後7年ね。


もうその頃でさえ、役所の「おざなり」な仕事のやり方、


やる気を出す人が1人もいない役人、


上司の顔色を見ながら、ハズれたことをしないように


「忖度」ざんまいの仕事場。


そんな中で、あまり暮らしぶりのよくない、教育もしっかり受けていないような


ただ若いだけの女子事務員だけが、はっきりと物を言う。(チャコちゃんケンちゃん、チャコちゃんのお母さん)


志村喬の、日大病院で会った時とは雲泥の違いの


しょぼくれた市民課長が、自らの「胃癌宣告」で、


当時は「死の宣告」ほどの重大事にうろたえながら


その若い女事務員のストレートな心と言葉に


「生き返る」ように覚醒する。


ブランコに揺られながら「ゴンドラの歌」を歌うシーンは有名だが、


ワタシは、このたび


お通夜の席を「月見障子」のガラスから映し出すシーンに見入った。


これ、70年も経った「今でも」


役所だけでなく、日本全体に、


職場に、近隣のコミュニティに、友達関係に、


趣味のサークルに、芸能界に、


、、ありとあらゆるところで、


見受けられるシーンだ!と、気付いた。


黒澤明は、とっくに亡くなったけれど、


それぞれの映画で「社会派」だとか「反戦主義」だとか


一様に言われてはいるが、


ご本人が、こんな月見障子の白黒シーンが


70年後に古臭いとも思われず、「未だにあること」になるとは


思っていたのだろうか。


無気力な仕事をしながら、死を迎えることに


若い「(のちのチャコ姉ちゃんのママ)女子事務員」の言葉で、


奮起する、あの時とは違うしょぼくれた志村喬、、。


もう、これは


古典のように「古い黒澤映画」ではなく、


いま現在の問題として、キシダさんはじめ


全部の国会議員、都県知事、市長、、


みーんな、観て、考えたほうがいい!


なーんて、余計なお世話だって怒られるね。



配役も素晴らしい。ほとんど亡くなった人ばかりだけど、


今回気付いたのは、市村ブーちゃんという人。


この人は、テレビの黎明期「パパ起きてちょうだい」というドラマ(確か日曜の朝だったんじゃないかな)で


のちのフォーリーブスのメンバーになる江木俊夫を子役として


優しいパパになっていたが、


確かジャズピアニストであった。




そのブーちゃんが、ピアノを弾くシーンが出て来た。


このシーン、今まで「ブーちゃん」のことに気付かずに観ていた。


あー、、映画や芝居の話になると止まらない。


最後に一つ


イギリス製の「生きる」↓


黒澤の「生きる」を、カズオイシグロに脚本を任せ


イギリス版、そのタイトルも「リビィング」


これも、重厚でなかなか良かった。




ブログに書いて、読んでくださる方に「面白い」と思っていただけるかわからないが、


なんでも「感じた時」に書いておかないと、


すぐ忘れちゃうので、


長文、失礼いたしました。ショボーン