昨日は「タイトル」だけしか書けなかった映画「日の名残り」について、
私なりの(なるべくネタバレしないように、笑)感想を書いてみる。
まず、最近ではすっかり、あの「羊たちの沈黙」「ハンニバル」の
怖ーい「レクター博士」に『なりきって』いる姿が頭に浮かぶアンソニー・ホプキンス、、。
このお屋敷に、まるで産まれた時から住み込んでいたような「はまり方」。
小説の映画化というと、
先に本を読んでおく、、というのが私が決めていることなのだが、
たまには、映画が先の方が良いように思うこともある。
カズオ・イシグロは、英国在住の日本人、
ノーベル文学賞を受賞した時は
5歳までしか日本にはいなかった、、と英語で答えるインタビューに
嬉しい受賞ではあったが、感性としては、あちらのかたねー!なんて、
ちょっと残念な(寂しい)気もしたから不思議だ。
イシグロの小説はまだ読んでいなかった。
しかし、この映画は
多分、小説を読んで、いくら想像力を掻き立ててみても
この映画のシーンにあるような
壮大な風景や、戦前の英国貴族のお屋敷や
そこで行われる貴族たちの集まり、居棲まう、召使いたちの振る舞いなど
思い浮かばなかっただろう。
ここで、ふと思い出したのは
「ハリーポッター」だ。
私は映画を観る前(映画製作前)に
、、というより、発刊されるとすぐに「本」を読み出したので、
、、全巻を読んだが、、
映画になってから改めて観てみると、
やはり、読みながら「貧しい想像力」で、
思い浮かべていた「シーン」とは、格段に違うことに気付いた。
英国の、映画撮影時の予算のかけ方が
壮大な物というのは、さることながら
あの本の中に表した「シーン」は、こんなふうだったんだ!と
驚いたものだった。
話を戻して、、
ネタバレを注意しながら、「日の名残り」の話をすると、、
人には「表」に思い切り『出て』、
その存在を主張する人と、
決して「表には出ない」が、
「表に出る人のため」に、一ミリの狂いもなく
微に入り、細に入り、神経を研ぎ澄まして
「支え抜く人」がいる。
その陰で「支え抜く人」は、あくまでも陰にいるので、
「表」で、それを讃えられることはない。
しかし、ひとたび、「陰で支える人」の繊細な努力を知れば
それは、もしかしたら「表」で活躍する人より「尊い」と言える。
私は、その表に出ない「陰で支える人」の努力を見損なわない人間でいたい、、と常に思っていた。
我々で言えば、
ステージで「演じる者」は、誰にでも分かりやすい存在であるが、
音響一つで、お客さんの耳に届く「音」が違うことを忘れてはいけないし、
その「音響」を、繊細なオペレーションで
黙って真っ暗な場所で支えてくれる人がいる。
ステージを照らす照明さんだって、
「私が照明です!」なんて、お客さんに言ったのなんか見たことがない。
もっと言えば、チリ一つ落ちていない会場を掃除している人がいる。
そういう「プロフェッショナルな陰の支えをする人」が
「表で光を浴びる人」と同じ数だけ又はそれ以上、
世の中にはいるのだ。
しかも、アンソニー・ホプキンス演じるスティーブンスは
親子二代!
イシグロは映画の中で、
「日が沈む寸前が、一日のうちで一番美しい時だ」と言わせている。
インタビューの中では、
「長いように思えて、人生は短いものだ」と言う。
その長いような短い人生、、
いろんな失敗やしくじりもあったとしても
日が沈む寸前に「美しい!」と
自分が思えれば、それが一番だろう。
できれば、しわくちゃな顔もシミも、
映画の中で、アンソニーが「タイム」の「ニュースペーパー」にアイロンをかけるように
ピンピンに「美しく」なれば良いけど、、笑!