昨日の朝のニュースで、目を疑う映像が飛び込んだ。
ど、ど、どうして〜?
と、本当に驚いた。
午前1時頃に出火して、正殿など6棟を舐めるように焼き尽くした「火」は
夕方頃、ようやく鎮火したようだ。
今、高3の孫息子が2歳くらいの時だから、もう16年も前になるか、、
息子夫婦に誘われて、私たち夫婦と息子夫婦孫の5人で
初めての沖縄旅行をした。
初めてなので、ガイドブックを見ながら
有名な場所を探し、確か2泊3日くらいで遊びに行った。
沖縄に音楽友達が3人いて、
その3人は私の友達だったが、別々の関係だった。
それを私が沖縄に行くということで合流して、
飛行場に迎えに来てくれた方、帰りに送ってくれた方
お宅にご招待してくれた方と、
贅沢にも分業体制で、おもてなしいただき、
盛大な歓迎をしてもらった。
息子夫婦も夫も、沖縄の友人達の「親切さ」に
びっくりして、感動していた。
その時、ガイドブックを見ながら決めた「名所」巡りをしたわけだが
当初は、彼らが「1日目は誰々」「2日目は誰々」と、
「ガイド係」まで決めてくれていたのには
「どこまでも優しい」沖縄の人を感じ
びっくりすると同時に、恐縮して
「ガイドまでしていただいては、、」と、遠慮して
自分たちでレンタカーで、あちこち廻った。
彼らが、あとで「美ら海水族館」や「首里城」などのスケジュールを見て
「ちゃんと名所を押さえていて、これなら大丈夫!」と褒めてくれた。
その時行った『首里城』、、
あんなに一気に燃えてしまうなんて、、。
一体なにが原因なのだろう。
こんなこと言ってはいけないが、私は燃え盛る首里城正殿を
ライブニュースで観て、
『美しい』と思ってしまった。
儚く火に包まれてしまった「悔しさ」「悲しさ」は勿論、
その様子を目にした人は誰でも感じる。
私の心も「悲しい」「残念」「なぜ?」「なにがあったの?」と
驚きでいっぱいではあったが
その身を裂かれながら火に悶える正殿は
今起きている「悲劇」とは、裏腹に
「美しい姿」を見せていた。
ふと、「金閣寺」の焼失のことを思った。
金閣寺火災は、私が生まれた頃の事件だったはずだから
勿論その状態は知らない。
のちに「三島由紀夫」の小説などで
多分私の頭に、「金閣寺が燃える場面」は、
まるで「見た」ように、刷り込まれていたのだろう。
首里城正殿の火災の原因もなんにもわかっていないが
美しい姿を燃やしてしまった、、
その「落胆」は、多分同じものであっただろう。
金閣寺の犯人は、その時、山に逃げ込み
捕まったが、のちの「恩赦」によって釈放されたらしい。
金閣寺と同じに、また大変な金額をかけて再建はされるのだろうが
覆水は盆にかえらず、、ここでもまた、そう思う私だった。