戦後の貧しい日本で育ったワタシ達世代は

やっと、アメリカから「お恵み」のようにやってきた

西洋文化と、現実の境目で、

やたらに街中を大音量で流れる英語のクリスマスソングと

デパートの大売り出しの呼び声・チラシの中

「もしかしたら良いことがあるかもしれないクリスマス」に

胸を躍らせた。

その頃の、胸を躍らせていた子供には、

ソリに乗ったサンタさんは来なかったが、

戦後成長に追いつかない安サラリーの中から

その年の寒さを乗り切るための厚手の下着や靴下などが

朝起きると枕元に置いてあった。

子供心に、「えっ?これ?クリスマスプレゼント?」とがっくり。

当然サンタではなく、

小さくなった、、あるいは、お下がりばかりで古くなった「下着」を

娘達に、買い与えるのがクリスマスの時期だった、、というだけのこと。

それは、どうしたって買わなきゃならないのに、

サンタさんのプレゼントのように枕元に置いちゃ「反則」でしょ!と思ったが

黙っていた。

友達にも「サンタが来た」とは金輪際言うはずもなかった。

クリスマスの朝に発見したのはまだある。



↑これ。


以前描いた、スマホアプリの「指」絵。


サラリーマンの父が、接待なんだか自分が楽しんだのだか(多分後者が主だろう)

 

明け方帰ってきたとみえて、「昨夜の抜け殻」のような


ヒゲ鼻メガネとピューピュー笛。


そして、それでも大事に持って帰ってきたのだろう、


キャバレーのお土産のバターべたべたのクリスマスケーキ。


白い箱は、ひしゃげて、中を見れば


クリームなど、箱のあちこちにくっついて 


それもまた、昨夜の(父にとっての)快楽の名残りのように見えた。


私はまだ入学前のことだったはずだが、


毎年の「クリスマス」に纏わる、目撃体験は


ませた子供(ワタシ)を証明する「感想」であった。


しかし、それ(感想)も誰にも言わなかった。


大人になって、その時の感情を思い出したのだった。


しかし、父も戦後の企業の歯車を動かすネジであったことも事実で


それはそれで、家では娘達と妻が


ターキーやケーキやシャンパンとは無縁のクリスマスを過ごすのを知りながら


キャバレー土産のバターケーキを、せめてこれだけでも持って帰ろうとしていたのか、、と


少し哀しい思い出だ。


しかし、ヒゲ鼻メガネは滑稽だった。


↑これもまた、以前にスマホ画面を指でなぞって描いた「ツリー」。


そして、東京の友から↓


六本木のイルミネーション。つい先日の。





これはおまけ、、私が外側から観るのが好きな

銀座のカフェ。↓



ブレンダリーのクリスマスソングをどうぞ!↓