何時の御代かは最早わたくしには思い出せませんが、かつては建礼門院や、お付きの右京太夫の時代では無かったとは思いますが。

壇ノ浦の海より拾い上げられた建礼門院は、時には花筐を手に野山の草花を右京太夫と共に摘み集め、亡くなられた平家のお公家の方々、特に幼くして入水し乳母と共に、また三種の神器と共に、壇之浦に沈んだ安徳天皇を供養しながら、京都・大原の破れ尼寺で生を終えたのでしょうか。

 さて、やんごとなきお方に付き添う女官の苦労たるや、常人には考えも及ばぬ苦労が多分あったもので御座いましょう。

 今の世にも、その様な女官の存在は暫し確認出来ます。

さて、ある女官の如きはさる歴史ある名家の宰相の奥方付きの女官として仕える事と相なりました。その奥方、「瑞穂の国の寺子屋」に最早時代遅れの「教育勅語」なるものを誠意広める程の、自由奔放なお方であられました。わたくしも「教育勅語」を日々読み研鑽をしております。

例えば、

「朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムル͡コト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我が臣民克ク孝ニ億兆心ヲ一二シテ 云々」の言葉を毎日わたくしは大きな声で唱えております。

 ところが、奥方の余りの奔放さに手を焼いた、当時の内務省の長老が、「これはイケない」とでもお考えになられたのでしょうか、学問処の一女性を「奥方の女官にする」と申し入れました。その女官になられたお方、当時としては珍しく日本の最高学府で学業を修めたお方。科挙の如くの制度は女人には門を閉ざしていたその当時、一女官は学問処に一般の職員として採用され、高級文官への望みは諦めておられました。が、突然降って湧いた「女官」への抜擢に、悩んだことでしょう。その後、結局奥方と日夜生活を共にし、奥方に振り回される毎日となりました。

 が、その忙しい生活は長くは続く事なく、宰相が突然の事件で逝去され、その女官、やっと解放されると思った矢先、欧羅巴の某小国の日本大使館なる一等書記官に抜擢される事となりました。元々上級職の採用でもなく、外交経験のないお方が突然一等書記官に抜擢されるのは極めて異例でした。「針の穴に馬を通すような」あ!これは出産のときの我が女房のたわ言でした、失礼! 

今も昔もそうなのらしいのですが、外交官になられるお方は、本来頭脳明晰なるお方が困難な「外交官試験」に合格し、それまでに相当の研鑽を積み猛勉強を強いられ、とても私には想像も出来ない程の大変な事でありましたのでしょう。

外交官試験に合格後は、海外研修という名目で海外留学を命じられます。

学問処の一職員から、一等書記官への道は未だ無かった事なのでしょう。時には外務省の職員ではないお方が、突然駐外国日本大使となる事はままある事でしょうが、これは上級試験に合格したお方が主だったのでしょう。

 古くは、スペイン大使となられたお方は、第二次世界大戦の始まった時期に当初は留学生となり、亜米利加経由西班牙に渡ります。太平洋は安全だったものの、大西洋はU-ボートが跋扈し、共同で見張り役を務めながらの危険な航海。また、現在自民党の有望な政治家、麻生様の御祖父君であられる、名宰相・吉田茂元首相も大使館員であられた時代は、中国・イギリス等各処に勤務、また日本に帰国すれば憲兵につけ狙われ、それはそれは大変な時代で御座いました。

 が、兎に角、三等書記官でも大したものだ!今の世で三等書記官と言えば、某外地のマンションの最上階にお住みになられ、奥方は留学中に誤りを犯でも犯したのでしょうか、その人形のような「青い目をした美形のお方」を引き連れ、時に某国に赴任するものです。また、その三等書記官の住むという最上階のマンションの家賃は、正にビックリの$2000以上/月。日本との通貨価格比較からすれば10倍から20倍の額。また、その同じお国にいた一等書記官の如きは異荻の国の超若い女学生を女房もどきで引き連れ赴任をする始末。そのマンションの家賃たるや、最早わたくしにはとても想像に遠く及ばないものであったのでしょう。また、その報酬たるや、日本国内の報酬+外地手当なるものも加わり、わたくし達「下賤の者には」想像もつかない報酬も加算され、ほぼ国内報酬相当の加算給が付くもので御座いましたのでしょう。ええええ、、の連打となるのでしょう。また、参与なるお方もおられ、この方はピアノの腕前はプロ級、大使館とは様々な才能のあるお方が集うところであられるのでしょう。が、つまりは、わたくしの行きつく処は金目で、多分国内の報酬x2倍の報酬になるのでしょうか。また、日本の大使様の退官間際の最後の任地には、中南米の氣功の、いや!気候の良い国が選ばれ静かな生活を送ったのち、帰国後は優雅な天下り生活に入ります。時には「フレンチの時間が!」と人の羨むような優雅な生活を過ごすことでしょう。

さて、その欧羅巴に赴任した彼の女官のその後は全く情報が漏れ出て来ません。

自由奔放な奥方のすべてを承知していることから、体の良い島流し、もしくは口封じ、もしくはお礼の意味があったのでしょうか、その様な天下国家の秘密は私ども卑しい平民には当然全く知らされないのであります。日本とは、民主国家、秘密情報公開の開かれた御国ではなかったのでしょうか。

また、外交の秘密資金は、全てが税制対象外、臣民の大抵はしらぬ処へ、また全てが無税扱いとなるとか。わたくし共一般庶民には理解できない程の額の「秘密資金、秘密物資等」が海外に秘密裏に流れる結果となります。大半は、現地の役人ばらの隠しがねとなり、闇に消えていくのでしょう。今喧しい、政治家の裏金なぞ到底比較にもならない額になるものでしょう。

試しに、外務処もしくは「日本版平和部隊」のプロジェクトに参加すると、謝礼は現金がぽいポイ!と渡され、全てが税金免除。こんな庶民とは無関係の秘密がまかり通る世界に身を置くことなります。しかも、派遣前には「お願いですから、仕事はしなくて結構ですから、兎に角御無事で帰国して下さい」と言われる始末。この様な特権階級になってはみたいと思うのは私だけではないはずですが。一体どのような素晴らしい世界なのでしょうか。

 ま、これらは殿上人の、わたくし共下賤な者に関りの無い、世間の事どもで、その女官、晴れて帰国後は多数の僕にかしずかれ、優雅な生活を謳歌するのだろうな、とは下賤なわたくし臣民の勝手な推量で御座いまして、本当の処はどのような結末になるものなのでしょうか。一度は覗いてみたいこの様な禁断の世界、興味深いものがあります。

 

     

  私の愛読する、教育勅語。制定、明治23年10月30日発布、御名・御璽。