記事を見ていたら、どうもその設計をしたアントニン・レイモンドの建築物が三重県津市にあるらしい、と言う事で急きょ名四国道を飛ばした。対象物は、旧三重県立大の図書館だったらしく、確かに移設はしているが、旧三重県立大学の食堂になったり、と改築もされている。現在は大学の統合もなされ、水産学部と医学部が共に国立三重大学の所属となっている。レイモンドさんの名前は軽井沢に行くまでは知らなかったのだが、例の建築家のライトさんと共に戦前に来日したらしい。出身はボヘミアで現在のチェコの出身だとか。彼の軽井沢でのショー記念礼拝堂の建設が軽井沢の外国人別荘地への嚆矢であったとか。戦争中は退避したようだが、戦後も日本に戻り、活躍されていた。多分、奥様は日本の方だったのでは。

 さて、高速道路を使わないのは貧乏人の性で、予想通りトラックで渋滞していても気にしない。ガス・スタンドはあるし、コンビニはあるしSAまで我慢する必要はないが、時間は掛かる。私は年金暮らしなので時間は充分にあるし、渋滞はしても急ぐ必要もないし、イライラもしない。また、何時も移動中の食事は、オニギリかサンドイッチを、コンビニで休息しながら車中で食べる。

 さて、そのその建築物は現在、県の重要文化財に指定され、記念館となって通称、レイモンド・ホールの名称で保存されている。

窓の広い独特の建築物で、中に入ってビックリで、柱に何本か「北山杉」が使われているのは移築時の付け足しなのか?

 

  

 

 大きな明るい窓が特徴、此処が学生たちの食堂に使われていたとは! 

 

 

 

 通常、天井は丸太の半割を使った、シザーズ・トラスト?らしいのだが、此処は違うようですが、私には建築の説明が出来ない。山小屋風の天井板の無い木組みが露出していて、実際に見ると理解は出来る。ガラス窓が大きく、明るい室内に憧れる。この窓ガラスが凹凸のある硝子板で、このガラス板の再現は最早不可能だとか。

当時の県大の学校長がレイモンド建築事務所の職員と旧三高での親友だったとかで、実現したようだ。始まりは、当時の妹尾学校長が懇意になった米軍軍医から多数の医学蔵書の寄付を受けたこと。蔵書の整理に三重県に図書館を持ちかけたのが切っ掛けだとか。完成は1951年(昭和26年)、その後県立医科大学付属図書館に始まり、学生食堂へと変遷し、移築もされたものの、学生の食堂では余りに勿体ない。やっと本来の用途に還ったのでは。

 レイモンドホールが世に出る質問が2007年の「三重県立大学の付属図書館である、レイモンド・ホールが何故レイモンド氏の作品リストに載っていないのか」であったとか。建設から50年以上の歳月を経て、再度世に出た。

 軽井沢のショー記念礼拝堂を見たり、南軽井沢の「ペイネ美術館」がレイモンドさん本人の別荘だったとか、多くの発見があった。南軽井沢の塩沢湖畔には軽井沢タリアセンの施設等が散在している。近くには軽井沢高原文庫もあり、堀辰雄さんの旧別荘、野上弥栄子さんの旧別荘などもある。

さて、大成果であった本日の帰りの名四は意外と渋滞は無く、スムーズに帰れた。途中の桑名では「焼きハマグリ」でなく、女房指定の「安永餅」を永餅屋本店で買う余裕さえあった。疲れはしたが、有意義な一日であった。