私は戦後の田舎の漁師町の生まれだが、家は貧乏ではあったが戦後の食糧不足は全くなかった。教師の月給を漁師は一日で稼いだとか、田舎の町には珍しく怪しい女性を何人も置いた料亭なるものも確か何軒かはあった。

 その田舎の町から山越えのバスと私鉄の電車を乗り継ぎ行くと、近くにH市がある。今も昔もそれほどの繁栄は見られないが、一応は10万人規模の市ではある。その私鉄の駅前にXX堂書店があった。それほど大きくはないが、地方の本屋としては大きく、しかも教科書販売を一手に引き受けていたようだ。

この書店で、笠井鎮夫さんの「西語(スペイン語)四週間」との運命の書籍を私は中学3年生の春、購入することになる。

さてその書店、この地方の小中は勿論、高校の教科書の販売も一手に引き受け、大きく商いをしていたようだ。新学期となると、その書店の眼鏡を掛けたオバサンが従業員を引き連れやって来ての教科書販売以外に、教材も扱っていたらしい。

中学生ともなると、XX堂書店の近くの、おもちゃ・プラモデルのXX堂にも出入りを。昭和30年代はそんなおもちゃ屋さんにも、ライフル条を持つ本物の「空気銃」が置いてあった。数千円で買え、もちろん所持許可は必要だったが、大抵無許可で所持。流石に空気銃の購入は親が許さなかったが、叔父所有の空気銃を無断使用していた。そんなのどかな時代であったが、空気銃はスズメを一匹殺した時点で止めた、余りに惨いスズメの最後に足が震えたからだ。

 高校生になると、「丸善」に行く事も覚え、洋書を横目で見ながら「文庫本」なるものも買っていた。が、そのH市の書店はある日突然私鉄駅前から消えた。奥さんは働き者だったが、どうも旦那が遊び人で、ギャンブルにも手を出し、良くある話で売り上げもつぎ込んでいたらしい。倒産、廃業したと思い込んではいたが、10年後の私がそのH市に住むようになると、XX堂書店の看板を目にした。市の中心街から外れた処に、木造平屋の小さな建物に、XX堂書店の看板だけ。書籍を店頭販売している様子は無い!その平屋の建物も消え、ああ、本当に廃業をしたのか、とは思っていたが、それから40年ほど後、散歩の途中に別の廃業した書店の一角に、手書きの紙の看板にXX堂書店とあった。えっ!まだあったんだ。どうも書籍の販売は止めたが、「教科書の販売利権」は持ち続けていたらしい。小中学校の教科書が無料配布になって久しいが、年一回の販売でも、教材共々それで存続・生存していたようだ。

元小学校の教師であった同僚の女性に聞くと、当時は先生にもかなりの「リベート」が業者から回って来ていた時代らしい。教科書は勿論、教材も楽器、工作、そろばん等々、黙っていてもかなりのリベートで、実入りは相当良かったらしい。

放課後に、教師を捜しに行くと必ず宿直室で「マージャン」をやっていた時代、おおらかな時代でもあったようです。

しかも修学旅行の下見や何かにも、旅館、旅行社から相応のもてなしがあったらしい。旅館に泊まって下見をして、かなりの豪華な下見だったらしい。今は当然許されない事なので、男性教師何かは酒はもちろん、アチラの接待もあったのかもね?と。

本は販売しなくても、教科書販売で食っていけるのなら、書籍を売るより超簡単、こんな処に教科書販売の利益が生きているのか、と感心しきり。

これだけのビジネスで、もう数十年前に倒産したはずのXX堂書店はどっこい、生きている。当然、教科書は無料配布にはなったが、利権は生きていた。

さて、そんな私が中学生時代に購入した「西語四週間」は未だ手元にあるし、私の嫁は丸善勤務の親父の娘でもある。