この8月購入した、ミツビシアイ・T(ターボ付)軽四で軽井沢行きを計画した。経路は、、

*愛知・小牧から、東名経由中央道で長野道・岡谷まで

*岡谷から、20号線-142号線で立科まで(この辺りはかなりの高度、和田峠は標高が1400m超え?)この経路は新線で、かなりの数のトンネルがある。

*立科から県道40号線で小諸まで、(岡谷-立科-小諸までは何と!U-tubeに動画投稿があり)何回も見て、充分に旅行の参考にさせて頂きました。

 動画に従い、記憶を頼りに進行。40号線は間違えたか?と思う程の田舎道。小諸近くで千曲川を渡り「カクイチ」と言う有名なスチール物置の工場の前を過ぎると間もなく18号線(旧中山道)。

 これを右に曲がると、御代田へ。間もなく信濃追分へ。此処までが約5時間ほど。食事の休憩はコンビニで、🍙オニギリとお茶、時々安い卵サンドのみ。SA、沿線の食堂に入るつもりは全くない。

 コンビニに停めたクルマの中で。御代田は知る人ぞ知る、電池式の時計ムーブメントのメーカー、御代田製作所の地元。私がスペインで買ったフランス製の時計が、中身は実はミヨタだった。世界に安価な電池式ムーブメントを世界中に輸出しているらしい。

*小諸-御代田-信濃追分は快適!15時頃追分に到着し、堀辰雄記念館へ。これが今回のメイン。

*信濃追分-中軽井沢-南軽井沢へ

 予約のホテルは簡単に分かり、まずは軽井沢高原文庫へ移築された堀辰雄旧別荘へ。12月からは高原文庫は残念ながら冬季休業中、 

 案内に書いてあった通り。文庫内に野上八重子別荘、道を挟んで有島武郎の別荘も移築。

 代々の軽井沢町長の英断らしく、寄贈されたものを各所に移築もしくはそのまま展示。これらが今日の観光に役に立っています、なにせ軽井沢は未だに「町」なのですから。

 

予想外の近衛文麿記念館まであった。冬季休館中で、勝手に車を止めました。

 

市村記念館(近衛文麿資料館?)軽井沢町出身の政治学者?

 

立派な門まであります。前は国道18号線沿い(旧中山道)

 

 近衛のお殿様で思い出すのは、戦時中の内閣組閣とゾルゲ事件です。

ゾルゲ一味が簡便な無線機で流したトップ情報は「日本は北進せず」だったとか。結局日本は南進し、ロシア軍は日本軍の北進への憂いも無くなりヨーロッパ方面に進軍、ドイツと対峙することとなります。ノモンハン事変での大敗北がそう(南進)決意させたのでしょう。

また、近衛のお殿様は、戦後占領軍への出頭時、自宅の上がり框で靴を履こうとしてそのまま卒倒、毒を飲んだとも。この時の物語が最近までも様々出ています。私の読んだのは「中世の物語の国宝級の希少本の一部を馴染みの女将に残し、自裁した」と言うもの。軍人では無かったのに何も死ぬことは無かったのに!と言われていますが、皇族としての矜持がそうさせたのでしょうか。今から考えても死刑は無かったとは思いますが、獄に下ることが納得出来なかったのでしょうか。私のような平民には全く到底理解不能な行動です。

 

旧軽の外れのショー宣教師記念教会、此処が軽井沢別荘地発祥の地。

しっかりと、中のベンチに座りお祈り?贖罪?をしてきました。

2年の外国滞在中は頻繁に教会でお祈りをしていましたので。

教会でお祈りをするだけでも、清らかな気持ちになるものです。

 

 

カナダ出身(元はイギリス・ウエールズ?の移民の子)の

宣教師ショーさんの住居。

 

    裏にある、鐘楼。下から手で紐を引っ張り音を出すようです。       

 

 北軽井沢(旧軽)は道も狭く入り組んでいて、お店・住宅・別荘も多く、やはり車は駐車場に入れ、歩いて観光をするものの様です。冬季は一日¥500くらいで駐車できます。本来は日本在住の外国人と裕福な都会人の避暑地だそうで、田舎者の私には本当は居ずらそうな場所でもあります。お店も何処も入り難い感じがしました。

春から秋は、私はお呼びではないようです。

ホテルに一泊の後、少し徒歩で観光をし、午後には帰路に就きました。山々には雪はたくさんあったのですが、何とか雪の被害はありませんでした。神の御加護があったのでしょうか。