小倉豊文さんの「雨ニモマケズ手帳」の記述に端を発するこの論争は未だに鎮静する事がありません。我が地方の偉人で哲学者の谷川徹三さんの「宮澤賢治の世界」は、古書ですが同じ書籍を二冊も所持しています。「この詩の前では頭を下げざるを得ない」らしいのですが、その反面、詩人であられる中村稔さんは、「賢治の作品で中では最も取るに足らぬ作品」と切り捨てています。

中村さんは詩人であると同時に弁護士であったとは、その後の氏の文章から読み取れるのですが。また、伊勢市生まれの詩人・竹内浩三は、宮沢賢治作品集を身内から送ってもらった挙句、その作品集内部をくり抜き自身の「手記」を実家に送り返し、わずか23歳で戦死しています。

 当時は「雨ニモマケズ」が「欲しがりません、云々」の戦争継続に、「玄米4合を3合に変え」てまで利用されたのは事実です。が、戦後も谷川さんは、その評価を下げる事なく、評価し続けました。

 

 

 

 

 元々、この「雨ニモマケズ手帳」は弟君である清六さんが書かれた「兄のトランク」の奥深くに仕舞われていた「自戒の書」、とは私も思っているのですが、公開するつもりも無かったようです。東京で開かれた、賢治を顕彰する?第一回の会合で、「ポロリ」とトランクのポケットから出て来たようです。内容は法華経の教義に裏打ちされた文章らしいのですが、これが宮澤賢治の代表作、と言われると何か違和感があります。

国威高揚に利用されたり、戦後も国語の授業の前に教師から毎回朗読を強要されたり、この文が嫌いになる方が居られたのは残念な事でした。でも、素直に、それこそ「自戒の書」として見直すのも良いかもしれません。

何方も賢治の宇宙に溺れ、ずぶずぶとハマりこんで行く、と表現されていますが、深読みせずに素直に読み進めるのもまた一つの方法なのでは、と私は思うのですが。